負の思い 隠さず広げて 『犀星の女ひと』 詩人・井坂洋子さん(71)

2021年4月25日 07時00分
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の詩で知られる室生犀星は、とても特殊な育ち方をしている。加賀藩の足軽組頭だった父と、歳(とし)の離れた女中さんとの間にできた子で、生まれてすぐ、家に出入りしていた者に貰(もら)われていった。血の繋(つな)がらない母と、全員貰い子のきょうだいでの暮らしを、犀星は何度も自叙伝風の小説やエッセイに書いている。
 母のたっぷりした愛情を知らない文学者というのは思いの外多く、夏目漱石も一歳で養子に出されているし、三島由紀夫も祖母の強大な圧力のもと、母と引き離されて育った。その精神的な飢えというものは、人よりも鋭い感受性をはぐくむのかもしれない。犀星文学のおおもとにあるのは、ほとんど面影のない生母への強い憧れである。
 けれど、犀星は女性にもてない人だったようだ。戦後ベストセラーになった『随筆 女ひと』は、自分の容貌のコンプレックスをめんめんと書き綴(つづ)っている。たとえば、葬式の時、死者の顔に白い布をかぶせることに注目し、弔い客が来るたび、白布を払って顔を見せるが、そんないやがらせをされたら、起き上がって噛(か)みつきたくなる、と書いている。
 このように、生い立ちやら、容貌やら、学歴のないことなど、さまざまな負の要素を、隠すのではなく広げて、そこはかとないユーモアを漂わせ、文学はエリートだけのものではないと、結果的に証明してみせた。
 私は、若い頃に、まずそこに惹(ひ)かれたように思う。何事にも自信がもてずに、萎(な)えた時間をすごすことが多かったから、彼の書きものに吸いつくように入っていった。長年隣に住んでいたような作家を、改めて眺めると、思わぬ発見が次々あって小躍りした。
 どんな作家が好きなのかという時、語り口が自分に合うのかどうかが大きい。犀星のは粘り腰で、尾を跳ねあげて潜る魚のように、生きがよい。日常の重い時間の蓋(ふた)をこじあけて、膨大な量の小説、詩、エッセイ、俳句などを書きに書いた。コンプレックスが多々あると言っても犀星は大作家。私はその大作家のほんの一部分をかじったにすぎない。
 大正、昭和の懐かしい外灯の下の、人間くさいドラマや、文学の香りのする空気に、ずっと浸っていたかった。彼はラクに息すればいいと言ってくれるようだ。今だって、喜びの小道は多々ある、と。
 =寄稿
 五柳書院・二二〇〇円。

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