やりがいの見つけ方 したいことリスト作ろう 避難先で福祉職・佐藤さん「過去にこだわらず 楽しく」

2021年4月29日 08時17分

グループホームで利用者の車イスを押す佐藤純俊さん=埼玉県久喜市で

 定年後の自分の居場所探しについて、当ページの「曇りのち晴れ」(四月一日掲載)に書いたところ、埼玉県杉戸町の佐藤純俊(すみとし)さん(74)から「私のように人生の完全燃焼を目標とする同志たちがたくさんおりますよ」というファクスをいただいた。福島の原発事故で避難生活を続けながら、障害者福祉にやりがいを見いだした佐藤さんに会った。 (長久保宏美)

◆最初の転機

 埼玉県久喜市の一軒家を活用した障害者のグループホーム。市内の作業所から帰ってきた利用者を佐藤さんらが「お帰りなさーい」と出迎え、ワゴン車から車いすごと降ろした。
 運営するNPO法人のスタッフは計約七十人で平均年齢は七十二歳。「グループホームで週三回、食事、排せつ、入浴などの生活介助をしています」と佐藤さん。夜勤もある。
 福島県富岡町出身。日本福祉大(愛知県)で社会福祉を学び、福島県内の障害者施設で働いてきた。転機は五十歳のときだった。
 父親が糖尿病が原因で失明し、介護が必要になった。そこで障害者施設を翌一九九八年三月末で退職することにしたが、辞める二カ月前に父親が亡くなったため、退職するかどうか悩んだ。
 その際、佐藤さんは「せっかくの機会だから」と、自分がやりたいことを書き出してみた。十項目以上あった。自己啓発の本を読みあさり、最後は退職の道を選び、興味のあった健康食品の販売を自宅で始めた。
 「自分は社会福祉の仕事しかしたことがないので、いきなりハローワークに行ったってしょうがない。でも興味のあることに挑戦してみたかったんです」
 経験を生かし、いわき市で障害者通所施設の開所から法人化の準備まで所長として携わった。「自分の人生の目標を具体的に設定した経験が、その後の人生でも生きている」と言う。

◆原発事故で埼玉へ

 次の転機は十年前の東日本大震災だった。家族と富岡町の自宅から福島、栃木、埼玉各県の五カ所を転々とした後、現在の杉戸町で暮らすことになった。富岡町の自宅のある場所は今も帰還困難区域だ。
 原発事故当時は富岡町のゴルフ場スタッフとして働いていたという佐藤さん。なぜ、避難生活中に見知らぬ町で、福祉の仕事に踏み出せたのか。
 「原発事故から半年間はへこみました。でも、事故の翌年には急にやる気が出てきた。埼玉は若い時、東松山市の知的障害者施設で一年半勤務した経験もあった。それで私たち避難住民を温かく受け入れてくれた地域に、恩返ししたいと思うようになった」
 杉戸町で二〇一三年にオープンした障害児向けデイサービス施設の開設に携わり、施設長として軌道に乗せた。その後、県内で六つの障害者グループホームを運営する今の勤務先のNPO法人に、豊富な経験を見込まれて採用された。福島県外に避難した住民の支援活動にも精を出す。
 「今の仕事をしていて良かったと思うことは何ですか」。そう聞くと、「利用者とその家族の笑顔や喜んでいる様子を、実感できること」と佐藤さん。
 さらに長野県での里山再生のボランティア活動や山菜採り、孫家族との交流といった好きなことを挙げ、「勤務外の自由な時間に自己実現ができることです」と笑顔でつけ加えた。

◆佐藤さん流やりがいの見つけ方

・自分自身が楽しいこと、好きなこと、したいことを10以上書き出し、優先順位をつける
・チャレンジしないで後悔するより、まずチャレンジする
・過去にこだわらない。過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる
・人生の設計図と行程表をつくる

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