思い悩む若者の物語を 『その扉をたたく音』 作家・瀬尾まいこさん(47)

2021年5月2日 07時01分

撮影・内藤貞保

 二〇一九年に本屋大賞を受賞した『そして、バトンは渡された』など、ハートフルな物語に定評のある書き手。
 本作も、人生に行き詰まる二十九歳が前を向くまでを描く。意外にも本人は、そんなイメージに「書いていて心地よいものを書いているだけで、温かい話を書こうとは思っていないんです」と、自然体だ。
 主人公の宮路は、プロのミュージシャンになる夢を諦めきれないまま、定職に就かず無為に過ごしている。演奏に訪れた老人ホームで、介護士の渡部が吹く天才的なサックスにうたれ、通い始める。次第に入居者との交流も深まり、自分の生き方を見つめるようになる。
 作中に、ファンにはうれしい仕掛けも。渡部はもともと、一二年の自作『あと少し、もう少し』の登場人物。当時は中学生だった。時々、登場人物のその後を想像することがある。今作では主人公と対比する存在を置こうと、楽器ができる人物を考えるうち、ふと浮かんだ。大人になった渡部を「思っていたようにちゃんと育ってくれていた」と思える描き方ができ、目を細める。
 書き始める前に、プロットや人物像の準備はしない。まっさらな状態でパソコンに向かい、いちから練り始めるそうだ。主人公は大人がいいか子供がいいか、男か女か…と思案を巡らせ、筆の赴くままに書く。「結末までかちっと分かってしまっている話を書くのは面倒になりそうで。ゴールが分かっていないから、書くのが楽しいんです」。思わぬ方向に向かっていっても「こうなっていったのか」と楽しむ。
 〇二年にデビューしてからも、三十代半ばまで中学校教師の傍ら執筆を続けた。その経験もあり、若い世代の物語につい目が向く。「若い人の、ちょっとでも良くありたいと思い悩みながら生きている、きらきらした感じがたまらない」
 「人が好き。人を知りたいと思うし、書きたい」と、人間や、人と人との関わりに対する関心は強い。だが、小説のテーマといったものを掲げることはせず、手の届く範囲の物語を書き続ける。「そんな大それたものをもっていないので、自分の小説を読んで読者に考えてほしいことなんてゼロですね」
 願うのは、読んで笑っていてほしいということだけだ。
 集英社・一五四〇円。 (松崎晃子)

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