実は新橋−横浜間に先駆け開業…品川で「鉄道発祥の地」の証しを追う

2021年5月2日 07時13分

<品川新聞>

 62もの区市町村がある東京。担当記者が「編集長」になって一つの街を掘り下げる。

JR品川駅の1、2番線ホームに埋め込まれている「鉄道発祥の地」のタイル=JR東日本提供

 日本で最初の鉄道が開通したのは、明治維新後の新橋−横浜(現在の桜木町)間。言わずもがなの常識だろう。鉄道唱歌も「♪汽笛一声 新橋を」で始まる。しかし、JR品川駅の片隅には「鉄道発祥の地」と書かれている。どうしてだろうか?
 JR品川駅で、山手線が止まる一番線ホームの中央付近。多くの乗降客が通り過ぎる足元に「鉄道発祥の地」の文字と、ゴジラのマークが書かれている。
 「実は新橋−横浜間の開業前に、品川−横浜間で仮開業していました。だから本当は品川駅が鉄道発祥の地です」とJR東日本東京支社の広報担当者が説明してくれた。ちなみに初代のゴジラは品川駅近くの八ツ山橋付近から上陸した。
 ところで品川駅といいながら所在地は品川区寄りの港区の南端。「品川停車場」と呼ばれた昔の品川駅も、今より三百メートルほど南側の現港区内につくられた。
 品川−横浜間が開業したのは、一八七二(明治五)年五月七日(旧暦)。新橋−品川間の工事が遅れていたため、仮開業した。新橋−横浜間の本開業は、その四カ月後の九月十二日(同)だった。
 このため、「品川停車場」は「横浜停車場」とともに、日本で最初に開業した駅になった。

品川駅の高輪口にある品川駅創業記念碑

 「鉄道発祥の地」の証しは品川駅の高輪口にもある。ロータリーに駅の創業記念碑が立っている。面白いのは碑の裏側。仮営業の初日の時刻表と運賃が刻まれている。朝夕の一日二往復で、所要時間は片道三十五分。運賃は三つの等級に分かれ、片道で上等が一円五十銭、中等が一円、下等が五十銭と書かれている。

裏には明治5年当時の時刻表が=いずれも港区で

 品川町史によると、陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれた鉄道は大評判に。ひと目見ようと沿道は人が群れ集い、水路にも多くの船が繰り出した。そして、あまりの速さに「天下萬衆も驚嘆せざるを得なかった」と記している。
 間もなく新橋駅が開業し、品川駅は東海道線の起点の役目を終えた。さらに近年は東海道新幹線が止まる東京駅が玄関口になった。しかし、二〇〇三年に品川駅にも新幹線の駅が開業。さらにリニア中央新幹線の建設計画や、周辺の再開発も進んでいる。
 かつて東海道だった北品川の商店街で、旅や街道の本のブックカフェを経営する佐藤亮太さん(36)は「宿場町だった歴史のある街並みが残り、新しい駅や再開発地区と共存できれば、品川はとても魅力的な東京の玄関口になれる」と期待している。

◆昭和初期 南大井に空港

南大井にあった水上飛行場。海の前に格納庫と、海へつながる滑走台があった=大井町史より(品川歴史館所蔵)

 南大井1丁目には昭和初期の一時期、水上飛行機の空港があった。品川区などによると、1929(昭和4)年から31(昭和6)年まで、静岡県の下田港を経由し清水港へ飛ぶ定期便が運航していた。
 この飛行場は戦前の航空機メーカー「中島飛行機」が27(昭和2)年に自社の施設として開設。その後、定期便が飛ぶ空港として使われた。郷土史家らの「品川郷土の会」の野口健夫副会長(75)によると、当時は滑走路が不要な水上飛行場が多かったという。
 行き先が下田港と清水港だったのは「水上飛行機があまり長距離を飛べないことと、下田も、三保松原がある清水も観光地だったからでは」と野口さん。
 31年4月には「エアガール」と呼ばれた女性が添乗した。これが日本初の客室乗務員と言われる。当時の新聞に、18歳と19歳の女性3人の採用が報じられ「新時代のトップを切るにふさはしいモダン・ガール」と書かれている。
 飛行場は40(昭和15)年に廃止され、跡地はマンションやテニスコートになっている。野口さんは「地元で知る人も少なくなったが、当時は一大ニュースでした」と語る。

◆品川区

 江戸時代に東海道品川宿として栄え、1947年に品川、荏原両区の合併で現在の品川区になった。人口40万6083人(4月1日現在)。湾岸の近代的なオフィス街もあれば、戸越銀座のような下町らしさもある。品川駅の所在地は実は港区。
★名物は細長いあられにノリを巻いた「品川巻き」=写真。品川沖で良質なノリが採れ「海苔(のり)といえば品川」と言われていた。
★「銀座」にあやかって名乗る商店街は、戸越銀座が全国で初。関東大震災時に本家・銀座のがれきから、れんがを運び商店街に敷き詰めたのが縁という。
★若い時に今の立会川にいたとされる坂本龍馬の銅像は、高知県の像と比べ、若い顔立ち。高知ではブーツ、品川では草履を履く。

◆編集後記

 すしの鉄火巻きも、品川が発祥とも言われる。鉄火巻きの由来には、賭博をする鉄火場で、ばくちをしながら食べられる手軽な食事だったため、との説はよく知られている。
 今の北品川の商店街付近が、江戸時代の東海道。宿場町としてにぎわった品川宿に、鉄火場があったためとされる。品川沖では良質のノリが採れたことも、品川発祥説を後押しする。
 文・宮本隆康/写真・池田まみ、伊藤遼
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