<福生新聞>漂うアメリカン 基地の隣、時代映す商店街

2021年5月7日 07時14分
 62もの区市町村がある東京。担当記者が「編集長」になって一つの街を掘り下げる。

米国の雰囲気が漂うベースサイドストリート

 「福生ベースサイドストリート」。米軍横田基地のフェンスと並行し、国道16号に沿って約一・五キロ続く商店街はこう呼ばれる。米国の雰囲気を感じさせる雑貨店やレストラン、カフェが約百店、軒を連ねる。
 雑貨店には、カラフルなカップケーキやコカ・コーラのグラス、英字の看板が並ぶ。米兵が帰国する際に売りに来る軍服も。同ストリートを構成する商店街の一つ、福生武蔵野商店街の相談役、冨田勝也さん(77)は「米国のいいところを取り込み、異文化の街を全国区で発信したいと取り組んできた」と話す。

カラフルな雑貨が並ぶ「BIG MAMA」

 横田基地は、旧陸軍飛行場が一九四五年に米軍に接収されてできた。近隣住民らが米兵や家族を相手に次々と店を開いたのが、商店街の始まりだ。五〇年の朝鮮戦争時は基地内に入りきれない米軍人や家族のために、木造平屋建ての「米軍ハウス」が次々と建てられた。当時の商店街は「人と肩が触れ合うほどだった」と冨田さんは振り返る。
 保険代理店「パラマウントジョージズ」は五五年に開業。経営者の森重裕子(やすこ)さん(86)の亡夫が日系二世で米兵向けに事業を始めた。「昔は網のフェンスだったから基地の中でバーベキューをしているのが見えていた」と森重さん。米兵にクリスマスパーティーに誘われたり、家に招かれたりする経験をした。今でも「米退役軍人が懐かしんで訪ねてきてくれます」とほほ笑む。

パラマウントジョージズの森重さん

 七三年の変動相場制移行で円高が進み、七五年にベトナム戦争が終結すると、客足は減少。二〇〇〇年代になると空き店舗が目立つようになった。商店街は、日本人向けのアメリカン雑貨の販売に力を入れたり、アームレスリングなどのイベントを仕掛けて「観光地化」に取り組み、遠方からも客が来るようになった。
 最盛期には、福生市や周辺の瑞穂町などに約二千あった米軍ハウスは、米兵の退去後に多くの日本人アーティストが住み、ロック歌手の忌野清志郎さんや大滝詠一さんも暮らした。
 今も残る約百五十軒のうち一つは、商店街が管理するコミュニティースペース「福生アメリカンハウス」として、地域のシンボルになっている。冨田さんは「敗戦し、占領された負の歴史も残そうと思った」と保存に取り組む。米兵と家族が暮らしていた当時の雰囲気が再現され、年間一万人ほどが訪れる観光スポットになっている。

「福生アメリカンハウス」

 「若者が希望を持てるよう背中を押せるような場にしていきたい。平和であればこそ、繁栄がある」。冨田さんは商店街の未来に向けて力を込めた。

◆福生市

 人口5万6786人(4月1日現在)。面積は10.16平方キロメートル。うち約3割を米軍横田基地に提供しており、基地を除いた行政面積は東京・多摩地域26市の中で狛江市に次いで2番目に小さい。玉川上水が市域を南北に貫いている。
★「福生」の名前の由来は諸説ある。代表的な説に「麻の生える地『総生(ふさふ)』が変化した」や「アイヌ語で湖のほとりを意味する『フッチャ』が語源」がある。
★市の公式キャラクター「たっけー☆☆」は2013年に誕生。60年以上続く「福生七夕まつり」の竹飾りをイメージした。
★市内のハム工場のソーセージを使った「福生ドッグ」は「ホットドッグの最長ライン」として2014年にギネス世界記録を更新し、16年まで保持した。

福生市の公式キャラクター「たっけー」(福生市提供)

福生ドッグ(福生市提供)

◆編集後記

 米軍の駐留をきっかけにできた「ベースサイドストリート」。この商店街は戦争が起きると賑(にぎ)わい、平和になると閑散とする経験を重ねてきた。冨田さんは「時代を反映する商店街かもしれない」と話した。
 時代の流れに合わせ変化してきた商店街の歴史に、外国軍と隣り合わせの生活を考えさせられた。立地を生かしたビジネスで地域の発展を目指す人、基地の騒音や危険性に抗議する住民の双方に取材を続けたい。
 文と写真・竹谷直子
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