現代の危機とらえ直す 『計算する生命』 独立研究者・森田真生(まさお)さん(35)

2021年5月9日 07時00分

菅野健児撮影

 最近、長男(五歳)が数に興味を持ち始めていて、風呂などでたし算やかけ算の問題を出しあって遊ぶようになった。たとえば「10たす2は?」と僕が聞くと、彼は両手を開き、指先を真剣に目で追いながら、しばらく考え、「12!」と答えるのだ。
 十進数による「位取り」の原理を理解してしまえば、「10たす2」が「12」になるのはほとんど当たり前だが、彼はどんな問題を出されても律儀(りちぎ)に1から数える。それよりほかに、答えにたどり着く方法をまだ知らないからである。
 人はみな、まだ意味のないものとして数と出会う。声に出し、指を折りながら、数え、計算する時間を重ねていく果てに、少しずつ数に意味は染み込んでいく。
 まだ意味がない方へと、認識の可能性を広げていくことは、数学の醍醐味(だいごみ)である。このとき、意味がわからないままでも記号を操ることを可能にしてくれる「計算」という方法が、重要な手がかりになる。
 計算はいかにして人間の認識を広げてきたのか。また、そもそもなぜ、計算は人間の認識を広げることができるのか。これが、本書の中心にある問いだ。
 この問いをめぐり、計算の歴史をたどっていく旅は、コンピュータや人工知能が生活の隅々にまで浸透している現代に最後はたどりつく。現代はしかし、数学よりもさらに強烈な力で、ウイルスや気候が、人間の意味の世界を揺さぶっている。パンデミックや気候変動は、圧倒的な力で人間を「まだ意味のない方」へと引きずり出している。この状況を単に「危機」としてとらえるのとは別の見方を、僕はいま模索している。
 まだ意味のない世界に直面したとき、ただ危機に怯(おび)えるのでも、「正しさ」にすがるのでもない、もう一つの可能性を数学の歴史は教えてくれる。まだ意味がないものと、意味がないまま付き合ってみる。これは、たとえるなら子どもの「遊び」の感覚に近い。
 遊ぶことは、あらかじめ決められた意味に回帰することではなく、新しい意味の探索を始めることである。機械のように、隙間なく、高速に回転していく現代の世界に、わずかなりとも「遊び」の空間を開きたい。そのような思いで書いた。
 ぜひいろいろな読み方で、楽しんでもらえたらと思う。 =寄稿
  新潮社・一八七〇円。

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