<世田谷新聞>松陰と塾生 いるよ 松陰神社通りに志士10人

2021年5月10日 07時06分
 62もの区市町村がある東京。担当記者が「編集長」になって一つの街を掘り下げる。
 幕末の志士・吉田松陰(一八三〇〜五九年)を祭る松陰神社(世田谷区若林)に続く約六百メートルの一本道。この「松陰神社通り商店街」に、松陰や「松下村塾」の塾生たちが隠れている。「歴女」記者が胸アツで探し歩いた。
 東急世田谷線・松陰神社前駅を降りると、おしゃれなカフェやレトロな総菜店など新旧さまざまな店が軒を並べている。
 ちょっと懐かしさを感じる通り沿いに並ぶ街灯に、細長いプレートが二枚ずつ打ち込まれている。一部劣化で読み取れないものもあるが、肖像と業績が紹介されていた。

世田谷区若林の松陰神社通り

 プレートは松陰はじめ、奇兵隊を組織した高杉晋作、初代総理大臣の伊藤博文ら計十人。商店街の依頼でプレート作りを監修した山口県の萩博物館特別学芸員、一坂太郎さんは「いずれも肖像や写真が残っている人」と説明する。長州藩士の品川弥二郎、時山直八といったあまり聞き慣れない人物もいるが、「品川は松陰に接触した時間が最も長い一人。時山も塾に泊まり込みながら教えを受けていた。いずれも松陰との関わりは深い」という。
 プレート設置は約二十五年前。当時、商店街はバブル崩壊で失った活気を取り戻すため、松陰をブランドとして打ち出し、一九九二年秋から「幕末維新祭り」を開催。この時、通り沿いに維新の立役者約二十五人の紹介文を飾ったところ、幕末ファンが歓喜し、メモを取って回る人が何人もいたという。そこで、街灯にプレートを常設した。
 祭りの目玉は仮装パレード。松陰、奇兵隊、さらには「宿敵」である新選組にふんした約百人が練り歩く。後援に萩市が入るほか、なんと福島県会津若松市の観光団体も協力。両市の観光物産展が仲良く相乗りしているのだ。

松陰も奇兵隊も新選組も練り歩く松陰神社通り商店街の幕末維新祭り(同商店街提供)

 商店街の副理事長、佐藤勝さん(67)は「長州と会津が共存する珍しい空間。日本各地さがしても世田谷だけではないか」と話す。佐藤さんによると、両市の共通点は「松陰先生が旅をした地」。「交渉は難航しましたが、今では両市とも毎年参加してくれます」と笑顔をみせる。

吉田松陰の弟子のプレートを示す商店街の佐藤勝さん

 祭りは二日間で約五万五千人が訪れるほど盛況だが、昨秋はコロナ禍で中止に。今秋の開催を願いながら商店街の塾生プレートで幕末維新に思いをはせてみてもいいかも。
<世田谷の松陰神社> 安政6(1859)年に処刑された松陰の遺骨は当初、小塚原(今の南千住)に埋められたが、文久3(1863)年1月、高杉晋作らの手で長州藩の所有地だった世田谷区若林に改葬。明治15(1882)年に神社が建立された。敷地内に松陰や塾生らの墓や松下村塾の模造がある。

◆世田谷区

 人口92万471人(4月1日現在)で23区で最多。総面積約58平方キロメートルは、400年続く有機農園がある等々力、古着店や劇場が集まり、学生が集う下北沢や、「世田谷区」と聞けばイメージする高級住宅街の成城など個性的すぎる街の集合体。
★代田はだいだらぼっちに由来する説がある。かつて代田の北東部に湧き水によって形成された低地があり、巨人の足跡に見立てたという。今年3月、小田急線世田谷代田駅前広場に、だいだらぼっちの足跡が舗装された。
★用賀の語源はヨガ!? 鎌倉時代初期にヨガ道場が開設されたことに由来するとの説が。後に真福寺が所有し、現在でもヨガ教室が開かれ人気を集めている。

だいだらぼっちの足跡を模した世田谷代田駅前広場

◆編集後記

 官軍賊軍関係ない「幕末維新祭り」。各地の関係者が「世田谷で地場産品を売れる」という野望が裏側にある。一坂太郎さんによると、藩を超えた交流は、松陰が追い求めた運動の形だという。ならば松陰もひっそり喜んでいるのかも。ただ、新型コロナの影響で大規模イベントがしにくいのが実情。そんな今こそ、プレートを修復するチャンスではないか。幕末好きとして期待したい。
 文と写真・山下葉月
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