橋の風景 変えた人 不世出の橋梁デザイナー・故大野美代子さん

2021年5月11日 06時31分

横浜ベイブリッジ

 横浜ベイブリッジなど多数の橋をデザインし、橋に関する数々の賞を受賞した橋梁(きょうりょう)デザイナー大野美代子さん。一般にはさほど知られないまま逝った不世出のデザイナーだ。大野さんが橋に込めた理念とは。母校の多摩美術大で来月、「後輩」たちが研究展を開く。

◆来月、母校・多摩美大で研究展

 大野さんは岡山県出身。多摩美大でデザインを専攻。一九六六年、日本貿易振興会(当時)の海外デザイン留学生としてスイスに学ぶ。帰国後、友人とエムアンドエムデザイン事務所を開いた。

在りし日の大野美代子さん(写真撮影:スワミヤ 『BRIDGE』鹿島出版会より)

 インテリアデザイナーとして家具や住宅、病院などを手掛けた大野さんの転機は、七七年建設の板橋区・蓮根(はすね)歩道橋のデザインにかかわったこと。首都高速道路公団(当時)の技術者とコラボし、歩道橋の中央にベンチを置き、通路に手すりを設置した。当時としては異例の提案で、土木学会が優秀な橋に贈る田中賞を受賞した。

ベンチが設置され、手すりも備えた板橋区の蓮根歩道橋

 デザイン事務所で長年共に歩んだ池上和子さんは「病院のロビーなどの空間デザインに携わったことで、『お年寄りらにやさしい』の発想を橋に持ち込んだのでしょう」と説明。全国の橋に精通する紅林章央(くればやしあきお)・都道路整備保全公社橋梁担当課長は「橋梁界の技術者ならば田中賞を一度は受賞したい」と打ち明け、蓮根歩道橋を「革命的な橋だった」と評する。
 その後も次々と橋のデザインに取り組む。首都高速湾岸線の横浜ベイブリッジ、同中央環状線のかつしかハープ橋、神奈川県横須賀市の歩道橋・ベイウォーク汐入(しおいり)など、その数は全国で約七十。デザインした橋で田中賞を受賞したのは横浜ベイブリッジなど計十九。同学会デザイン賞最優秀賞も受賞した。

カーブが特徴的な首都高中央環状線のかつしかハープ橋

 多摩美大八王子キャンパスで開催される「大野美代子展」(六月二十一日〜七月七日)の副題は「ミリからキロまで」。ミリ単位のデザインからキロ単位の橋まで手掛けた大野さんのスケールを示している。
 同大環境デザイン学科の学生と法政大、東京大の工学系の学生計三十四人が、六グループに分かれて蓮根歩道橋など九橋を現地リサーチ。大野さんの仕事、作品が社会に何をもたらしたか、デザインという仕事の本質は何か、共同で研究、発表する。多摩美大の湯澤幸子教授は「デザインを学ぶ学生と土木工学を学ぶ学生が、それぞれの視点から成果をまとめるユニークな実験。大野さんの仕事から学生が何を得るか、期待したい」と話す。

横須賀市の歩道橋「ベイウォーク汐入」=いずれも本社ヘリ「おおづる」から

 橋は公共事業であることが多く、デザイナーの名は出にくい。「橋梁界では知られた大野さんも一般には知られず、『橋梁デザイナー』の名称もなじみが薄い。しかし間違いなく日本の橋の風景を変えた一人」と紅林さん。「ヨーロッパの橋は『空間の芸術』と位置付けられているが、最近の国内の橋は経済性優先。大野さんが見いだした付加価値に乏しい」とも。
 実質的な遺作となったのは二〇一五年に完成した岡山県備前市日生(ひなせ)町と瀬戸内海に浮かぶ鹿久居(かくい)島を結ぶ全長七百六十五メートルの「備前 日生大橋」。ふるさとの橋をデザインするのが夢だった。開通式には家族と出席、一緒に撮影した写真で大野さんは満面の笑みを浮かべている。翌年八月、以前から患っていた病気のため死去。七十六歳だった。
 文・加藤行平/写真・戸田泰雅、加藤行平
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