ボールド山の火事 菜種油工場の惨事に青ざめた

2020年4月5日 02時00分

ボールド山は、花見川の拡幅工事によって丘陵が切り裂かれ、今はもうなくなってしまった=千葉市花見川区で

 ぼくの住んでいた幕張町のたぶん四丁目には謎のエリアがあって、近隣の人はみんなボールド山と呼んでいた。
 その名は未就学児の頃から耳にしていたが、山というには高度せいぜい四メートルぐらいなのでそのイメージはなかった。そのかわりというわけでもないのだろうが、けっこう背の高い松の樹がはえていた。でも間隔はまばらで、大人になって思うには疎林という程度だった。けれどどういう区画割りをしたのか適当にまばらに家が建っていて、垣根というようなものはなく、どの家も(たぶん適当に)贅沢(ぜいたく)に広々と使っているように見えた。
 クルマがどうにか入っていける程度の道が一本あって、それは奥のほうでちょうど「Y」の字を描くように分岐していた。
 ボールド山の中に建っている家はまばらながらみんな生活住居であり、道のはいり口のところに小さな工場が一軒あった。
 町には芋畑と菜の花畑がひときわ多く広がっていて、その工場は菜種から油を抽出する作業をしていた。だから町の人はその工場を語るときにボールド山の油工場、と呼んでいた。工場にしては屋根の真ん中にある煙突はいかにも貧弱で、高さも五~六メートルぐらいのものだった。真ん中あたりが少し「く」の字を描くように曲がっていて、何本ものワイヤーで全体がとめられていた。
 ぼくはそのボールド山の奥のほうに小学生の頃からの友達がいたから、よくその工場の前を通ったが、何時(いつ)いっても活気がなく、まるで休業しているようにも思えたが、ときおりその「く」の字になった煙突から薄い色の煙が出ているので、ああやっぱりここは稼働しているのだ、と知った。
 もうひとつこのボールド山の住民で、いつも肩をいからせ、大きな犬を連れて散歩させているお腹(なか)のでっぱったおっさんがいた。でもこの人はいつも全体の態度がえばりくさっていて、道をいくときは必ず真ん中を歩いてくるのでその人に出会うとぼくは必ず道の端に避(よ)けなければならなかった。
 ぼくが小学校六年ぐらいのときに、この菜種油工場が火事になった。
 ぼくは自分の家の風呂に入っていて、ちょうど大きな火の玉が爆発するような光景をまのあたりにした。びっくりして「火事だあ、火事だあ」と叫んだ。兄たちがどかどか風呂場にやってきたが、燃えているのは風呂場ではなく、三百メートルぐらい先に見えるボールド山の工場なのだ。
 いそいで服を着て火事見物に走った。かなりの人が野次馬(やじうま)にきていて、学校の友達の顔をいっぱい見た。菜種油工場のボイラーが爆発したのが原因、とすぐにみんなの話から知った。その工場の社長の息子が着ている服ごと火ダルマになって、それを消すために工場の前の菜の花畑の上を叫びながら転がっていたという。少したってその人は全身火傷(やけど)で亡くなった、という話を聞いた。 (作家)

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