お昼の贅沢(ぜいたく) ソースたっぷり コロッケパン

2020年5月3日 02時00分

子どもたちの大好物、コロッケパン

 小学校の昼ごはんは弁当を持ってくる生徒が多かったけれどその頃はみんな貧しかったので、新聞紙につつんだお弁当はすっかりひらいて食べる、ということはせず、半分だけ広げたような新聞紙で弁当を隠して食べる、というのが多かった。ぼくの家もお弁当のためにおかずを用意する、などということはなく、前の晩のおかずの残りが多かった。おかずが残ってないときはチクワの煮つけとかコンブとか漬物など安物のおかずが多かった。
 二人座る机のぼくの隣には重三君がいて、やはり同じようにかたくなに弁当のおかずを隠していた。そうしてもたいていおかずは見えてしまう。重三君の弁当のおかずは毎日きまって炒(い)りタマゴかタマゴ焼きでぼくにはまったくおいしそうなゴチソウに見えて羨(うらや)ましかったのだけれど、重三君は絶対に隠して食べていた。それは重三君の家が養鶏所をやっていてタマゴがいっぱいあり、弁当のおかずというと毎日タマゴ料理で、重三君はそれがとても恥ずかしいようだった。
 休み時間のときなどいろんな話をして教室中にぎやかなのに、弁当の時間になるとみんなそんなふうに黙りこんで隠してコソコソ食べているのが不思議だった。
 弁当を持ってこない生徒のために学校の近くの神社の通り道に臨時の売店ができた。雨戸をリンゴ箱の上においてそこに古い敷布をひろげたようにしていつもパンを売っていた。コッペパンと食パンだった。
 コッペパンは真ん中のところから真っ二つに切って、そこにジャムやピーナッツバターを塗って十五円だった。いちばん上等なのはコロッケパンで、コッペパンにコロッケをはさんでソースをかけて二十円だった。
 でも普通のときはジャムかピーナッツバターを塗ってもらうやつで我慢しなければならない。コロッケサンドは高級品だった。
 売店をやっているのはその頃あちこちで活躍していたミボージン会のおばさんたちで、いつも割烹着(かっぽうぎ)で五、六人が働いていた。
 ミボージン会のおばさんらはなぜかみんないつも怒ったようにキリキリしていた。担当しているおばさんによってジャムやピーナッツバターの塗り方がそれぞれ違っていて、とても薄く塗るおばさんとけっこう厚く塗るおばさんとは格段にちがっていて、ぼくたちはみんなその違いをよく知っていたから厚く塗るおばさんの前にしっかり行列を作る。
 するといつも全体を見ているリーダーのおばさんがすごく怒り、行列を作る子供たちの列を割って平均させるのだ。そのおばさんはたぶんぼくたちがジャムやピーナッツバターの塗り方の差で行列を作っている、という理由を知らなかったのだと思う。
 少しこづかいに余裕があるときは贅沢(ぜいたく)にコロッケコッペパンを買った。そのときは「おばさん、ソースダボダボかけてね」と頼む。コロッケサンドは指で押してコロッケがコッペパン全体に広がるようにするのがおいしく食べるコツだった。(作家)

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