愛しき蒸気機関車 おもちゃカメラで「まち探訪」

2020年2月2日 02時00分

椎名少年がおもちゃカメラを借りて撮った写真(椎名誠さん提供)

 子供らのあいだに「日光写真」というのが流行(はや)った。黒い袋に入っている名刺大ぐらいの白い紙を説明書きにあるように直射日光にあてないように素早く出して「日光写真機」の中に入れ、その上に影絵のようなものが描いてある薄紙をのせ、透明セロファンのようなものをさらに被(かぶ)せて太陽の下に置いておくと五分ぐらいで白い名刺大の紙に影絵のようなものが写しだされている、というものだった。
 ただそれだけで、あたりの風景や友達の顔などが写しだされるわけではなく、何枚やっても同じ影絵のものが写しだされるだけだった。今思えば感度の悪い印画紙に切り絵のようなものをのせて感光させるだけのものですぐ飽きてしまったけれど、非常に原始的な写真の世界に出会うきっかけでもあって不思議なのはたしかだった。
 それからすこしたつと子供でも写せるカメラというものが登場し、金持ちの家の子などがそういうものを学校に持ってきた。
 正確な名称は忘れてしまったが両手を合わせるとその中に入ってしまうくらいのおもちゃカメラだったけれど、今思えば仕組みはちゃんとしたカメラそのものだった。
 小さなレンズがついたボックスカメラでブローニー版のフィルムを装填(そうてん)できた。晴れてる屋外だったらなんでもピントのあう固定焦点レンズでシャッター速度の調整もできなかった。フィルムはロール式だったのかほかの方法だったのか記憶がない。ほかの方法としたらロール式よりも複雑な仕組みになるから子供には操作できない。謎である。
 でもとにかくそれを借りてぼくはあちこちの風景を撮りに行った。最初の頃に撮ったのがこの写真である。
 以前書いた「開かずの大踏切」の近くで線路わきの工事をしている人たちだ。背後に小学校へいく途中の神社のある小山がみえる。疎林のある斜面でよく遊んだ。
 この踏切がなんで「開かず」になるのか、以前書いたときに大事なことを忘れていた。当時はまだ蒸気機関車が長い貨車をひっぱって普通に走っており、この踏切の先にある幕張駅で貨車をいろいろ入れ替えていた。それから十数年たって機関車が人気の時代がくるが、ぼくたちにとっては馴染(なじ)みの光景だった。
 駅にむかう国鉄と私鉄のあいだの狭い道をみんな行き来していたがそのすぐ横を凄(すご)い音で蒸気を噴射して巨大な怪物が行き来している。機関車に片手で捕まって旗を振りながら行き来していく車掌さんの姿が実にかっこよかった。
 けれど、この機関車による貨車の入れ替え作業になると踏切の遮断機は短くても十分はあかなかった。自動車と一緒に長い行列をつくっている大人たちはみんな迷惑そうな顔をしてイライラして待っていたが、ぼくたちはその入れ替え作業を見ているのが嬉(うれ)しかった。(作家)

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