子供は風の子 大晦日の晩に早く寝るやつは…

2020年1月5日 02時00分

雪が積もった公園で遊ぶ兄弟=1955年ごろ、千葉市中央区(提供・古山輝男氏、「千葉市の昭和」より)

 千葉は東京よりも温暖と言われるけれど、それは房総半島の先端あたりのことで、内陸は吹きっさらしでけっこう寒かった。子供の頃の冬は北風のなかで震えている記憶のほうが多いのはみんな貧相な薄着だったからではなかったか、と今になると思う。
 下着も夏と同じ木綿のシャツだったし(ぼくのところは)ウール素材の上着など誰も着ていなかったような気がする。もちろんフリースやダウン素材なんてのもまだ存在していなかったからね。
 冬のあたたかい衣服はせいぜい母や姉がつくってくれた手編みのセーターぐらいだった。それだけは堂々とウールだったはずだ。
 それにマフラーなどもあったが、セーターを着てウールのマフラーを首に巻いているしゃれた様子の子供は記憶のなかにもいなかった。ぼくもそんな格好はしていなかった。
 その頃の家族写真が兄の家にあったが、なぜかぼくは学生服のようなものを着ていてどういうわけかいかにも一人寒そうだった。オーバーとかコートなんかはその時代の子供らは着ていなかった。
 一瞬の記憶というのは脳の奥にしまわれていき、そのあとにどんどん新しい記憶が関東ローム層のように積まれていくようなので、何かのきっかけでその周辺の記憶をまさぐるようなことがあったときだけそれに関連してじわじわ記憶が引き出されていくような気がする。
 それで思いだしたのは、しゃれたオーバーなんかじゃなくて綿入れのチャンチャンコというやつだった。
 あの頃の子供らは総じて寒さに強かったような気がするけれど、底冷えのするようなときにはチャンチャンコを着ていた記憶がある。あれは実に頼りになるいいやつだった。
 子供の頃の記憶には謎がいくつかある。
 大人になって故郷も育ちも違う同世代の友人たちと酒を飲みながら子供の頃の話をしていたとき、年始年末の話題になった。
 ぼくは大晦日(おおみそか)の夜は子供はいつまでも起きていてよかった、という話をし、近所の遊び友達数人と住宅地の道を深夜大きな声で歌って歩いた、という話をした。
 「なんだそれ?」とみんなは怪訝(けげん)な顔をした。
 「大晦日の晩に早く寝るやつ馬鹿(ばか)だあ」
 みんなでそう歌って歩いた記憶が鮮明だったからそのとおり話した。
 みんなはさらに怪訝な顔をした。
 「おーみそかーのばんにーはーやくねるやつばかだあ」
 正確にはそういう歌いかただった。
 真冬の夜中である。寒さにふるえながらそう歌って歩いた記憶はからだが覚えている。でもその友人らからは、それは千葉の奇習だな、と一蹴されて悔しかった。その一時代だけのものかもしれないが記憶はあまりにもリアルで懐かしい。 (作家)

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