懐かしい人々 薪割りカメさんと拝み屋まっちゃん

2020年3月1日 02時00分

椎名少年の遊び場だった通称「堂の山」。こんもりと茂った小さな山の中に首塚がある=千葉市花見川区で

 町の名物男の一人に「カメさん」といういつも顔中ヒゲぼうぼうで、衣服などもボロボロの厚着をしている大男がいた。どこをねぐらにしているかわからない、今でいうホームレスだったが、いつものっそりのっそり歩いてくるので町かどなどでふいに出会うと意味なく怖かった。誰が最初にあだ名したかそののっそり具合がそういえば亀とよく似ていた。いろんな家で自分の子供などが言うことを聞かなかったり、しぶとく泣き続けていると母親は「カメさんがくるよ」というとけっこうキキメがあったらしい。
 カメさんはいきなりいろんな家にやってきて玄関の前で無言で立っていたりする。よくわかっている家ではカメさんに風呂のタキギの薪(まき)割りなどをやらせ、折よく残っていたごはんでおにぎり飯を作ったり菓子などをあげてその労働に応える、というのが町の人のなんとはなしのルールだった。
 今だとすぐに警察を呼んだり保健所に連絡して排除するケースだが、その時代は町の人みんなでカメさんの面倒を見ているかんじだった。
 カメさんが大きく見えたのは髪の毛も髭(ひげ)ものびほうだいで、持っている衣服をみんな着てしまっているようなので、着膨れて大きく見えたのだろうと思う。
 だから篤志家などは夏の季節だとカメさんのために庭に行水を作ってやり、せっけんを渡して体を洗うようにさせたりしていた。どんなときもなにも言わないカメさんだったけれど、そういうしつらえをされると素直に行水をつかっていたようだった。
 町にはもう一人、拝み屋まっちゃん、という名物ばあさんがいて、この人は堂の山のふもと近くのあばら家に酒びたりの旦那と一緒に暮らしていた。二人は仲が悪く、ぼくたちが馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚のある堂の山に遊びにいくときにはどうしてもそのあばら家のそばをいく山道を登っていかなければならないので、夫婦が家にいるときは必ず二人の口げんかを聞かねばならなかった。まっちゃんはもういい歳なのに娘みたいなカン高い声でいつも旦那をののしっていて、旦那はそれに応えていたのか犬みたいにウーウー唸(うな)るような声しか聞こえなかった。
 旦那はそのあばら家で焼酎を飲んで酔っぱらっているだけだったけれど、まっちゃんは町のどこかの家で結婚式や葬式などがあると、どこからその情報を聞きつけるのか謎だったけれど、そそくさとその家をたずね、たぶん多くは勝手に玄関までいって「ガラチン」をやるので有名だった。
 ガラチンというのは本来どんなときに使うのか誰もわからないガラガラ鳴るナス型をした鳴り物と仏具のカネのことで、それを両手であやつりながらぶつぶつお経のようなものを唱えるのだった。まっちゃんに来られると本当は迷惑だったのだろうけれど、たいてい家主はなにがしかのお金を包んで渡していた。カメさんもまっちゃんもいつのまにかいなくなってしまったけれど、今思えば懐かしい人々だった。 (作家)

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