「再審無罪」闘い続ける 大崎事件の弁護団事務局長・鴨志田祐美さん

2021年5月15日 14時16分
 裁判の誤りをただすため、裁判をやり直す「再審」。冤罪(えんざい)を訴え、これまでに裁判所で再審開始を三回も認められたのに、いまだにやり直しが実現しない事件がある。鹿児島で一九七九年に起きた「大崎事件」だ。殺人と死体遺棄の犯人とされた原口アヤ子さん(93)が無実を訴えて、四十年以上がたつ。その再審請求弁護団の事務局長、鴨志田祐美さん(58)が『大崎事件と私〜アヤ子と祐美の40年』(LABO)を出版した。
 「弁護士が、自分が手掛ける事件について書いた本なんて小難しそうでしょ。だから、どうしたら面白く読んでもらえるかを考えて書きました。実話ですが、ドラマや映画、お芝居のように楽しんでほしい」
 その言葉通り、七百ページもあるのに読み始めると止まらない。原口さんと鴨志田さんの二人の人生は、どん底にたたき落とされては立ち上がる、の繰り返し。読み手は手に汗握り、時にユーモアに笑わされる。
 大崎事件の当時、鴨志田さんは鎌倉の高校生だった。仲間と演劇やバンド活動に明け暮れていた時、父が病で急逝。音楽家志望を断念し、苦学して早稲田大法学部を卒業した。司法試験に挑むも失敗し、一度は就職する。その後結婚し、出産を機に母の故郷の鹿児島に移住。再び試験に挑戦し、合格したのは二〇〇二年、四十歳の時だった。
 運命の出会いは翌〇三年。司法修習先の弁護士が、大崎事件の第一次再審弁護団長だった。「こんなひどい冤罪が」。驚愕(きょうがく)して資料をむさぼり読んだ。
 事件では、アヤ子さんの義弟の遺体が見つかった。殺人の物証はなく、自白した親族三人の「共犯者」はいずれも知的障害があった。やってもいないことを認めてしまう「供述弱者」だと直感した。「私には三歳下の知的障害の弟がいる。何度も質問されると怒られたと思っておびえ、『はい』と答えてしまう。あらがえないんです」。アヤ子さんが出所後、夫は「警察に『アヤ子がやったと言え』と言われた」と謝ったという。
 初めて面会したとき、アヤ子さんは七十九歳。「普通のおばあちゃんに見えたが、炎を吐くように無実を訴えた。『鉄の女』と呼ばれる理由が分かった。私も再審無罪を勝ち取るまで、闘う女になろうと誓った」
 遺体発見前、義弟は泥酔して側溝に落ちていた。殺人ではなく事故死−。弁護団が調べる中で、そんな構図が浮かんできた。そして第三次請求では、地裁と高裁の両方が、「再審を始めるべきだ」と判断。誰もが勝利は間近だと確信した。
 ところが一九年六月、最高裁はいきなり開始決定を取り消した。理由もろくにないほど短文。あまりに理不尽だった。アヤ子さんはすでに九十二歳。病院で寝たきりとなっていた。
 なぜ三回も開始決定が出たのに、こうなるのか。現在の法律では再審での証拠開示手続きが定められていない。そのため裁判官にやる気がないと捜査機関に開示を求めず、新たな証拠が出てこない。なんでもかんでも不服を申し立てる検察官を止める手段もない。
 「真実を闇に葬らないためには、再審法を改正する必要がある。そのために世論に味方になってもらわなければ」。論文執筆や記者会見などを通じて法改正を訴えてきた。それをあざ笑うかのような、最高裁決定。「アヤ子さんに死んでおわびする」と思い詰めた。
 私生活もどん底に。母が大腿(だいたい)骨骨折し、法律事務所の事務長だった夫にステージ4のがんが発覚した。屋台骨だった事務職員の女性もやむなく退職。事務所を閉鎖し、心身ともに限界に達してうつ状態が続いた。
 だが、アヤ子さんの娘が昨春、物言えぬ母に代わり第四次再審請求をした。支援の声が次々と届き、最高裁決定を批判する世論の盛り上がりを肌で感じるようになった。「最後はヒューマニズムがある。そう信じられるようになった」
 折に触れ、自ら作詞作曲した歌を弾き語りする。タイトルは「アヤ子のうた」。天国にいるアヤ子さんの亡夫の気持ちを想像して歌詞を書いた。「無実をきっと晴らすまでここに来ちゃいけない」。今年三月、病床のアヤ子さんに第四次請求を報告し、動画で歌を聴いてもらった。言葉も出なくなった人が口を開け、起き上がろうとしたという。 (出田阿生)

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