<ブルボン小林 月刊マンガホニャララ> (25)本当に「平凡な私」の効用

2021年5月17日 07時15分
 平凡な私が、学年一の人気者から告白されて? みたいな梗概のドラマや漫画をみると、大体は「いうほど平凡じゃない」と思うだろう。
 平凡といいつつ、それなりの見目のはずだ。なんだ、平凡じゃないじゃないか、と抗議する人はいない。演技(漫画なら描き方)でもって凡庸さを出すし、鑑賞者が自己を投影する対象である「私」は、本当には美しくあってほしいものだからだ。
 藤子不二雄(A)の自伝的漫画の金字塔『まんが道』は、平成になって続編『愛…しりそめし頃に…』が描かれたが、その際に主人公の造形が青年らしく変化した。漫画家にあこがれる少年読者に近しい、ほとんどちびっ子のような目鼻立ちだったが、それでは青年時代の「愛」を「しりそめ」られんと判断があったか。続編はちゃんと(?)キスシーンOKな顔の造作で、ドキドキさせてくる。
 それでたまに、本当に「平凡な私」だわ〜という造形の主人公の恋愛漫画に出会うと驚く。
 『アイツの大本命』は書店のBL(ボーイズラブ)の棚にあったのだが、他の作品で不敵な笑みを浮かべる眉目秀麗な男たちとは異なる「漫画」っぽい顔の男が表紙に描かれていた。表情も、他と違って蠱惑(こわく)的でない。喉に痰(たん)がからんでてティッシュがない人みたいな顔してる。

田中鈴木『アイツの大本命』 *『MAGAZINE BE×BOY』(リブレ)で不定期掲載。既刊12巻。

 そんな奴(やつ)に(BL売り場で)会うのは初めてで、思わずレジに持って行ってしまった。
 これがモロに「平凡な僕が学年一のモテ男に好かれ」る話だった。主人公の吉田は平凡どころか、梗概には「不細工で女子から全く相手にされない」とあり、作中でものっけから女子にブサイクと連呼されている。学年一のモテ男の佐藤(もちろん美しく描かれている)は吉田のかわいさを見抜いていて、まっすぐにアプローチしていく。吉田の、往年の漫画らしい「BL非対応」(?)な造形は、不意にもたらされる恋情に「困惑」する様子を表すのに、とても向いている。
 作中には級友や女子の取り巻き、親まで「出てくる」のが意外。恋と無関係の脇役がこんなに活(い)き活(い)き描かれたBLを読んだことがなく(たまたま僕が出会わなかっただけかもしれないが)新鮮だ。へのへのもへじみたいな顔の級友にさえ愛着を持てる、楽しく普遍的な一作だ。
 さて、漫画で「平凡な私」が遭遇するのは恋だけではない。荒唐無稽な冒険も、日常が平凡ならばこそメリハリが出る。だが『未来人サイジョー』の主人公は造形だけでなく存在感も地味。現代から半世紀前にタイムスリップしてしまうが、こんなに冒険の似合わない、くたびれた主人公がかつて漫画にいただろうか。

いましろたかし『未来人サイジョー』 *全3巻。いずれも4月発行。KADOKAWA。

 男は覚えていた人気漫画の筋を、その漫画誕生より先に描いて一旗あげようと目論(もくろ)む。普通なら大成功、もしくは思わぬアクシデントでピンチと筋が進みそうなところ「なんとか連載は続くが」という程度の低空飛行。貧乏アパートでオッサンがウンウン唸(うな)る姿でヤキモキさせるのは、荒唐無稽な(つまり旧来の)タイムスリップものでは味わえない新種の面白さ。その主人公が「(政治も老後も悲惨な)未来に戻りたくない」と淡々と述懐する場面には未知の迫力がある。漫画から現実の現在に、静かな怒りを示されたとさえ思える。派手な主人公では生まれなかったろう、新しい表現だ。
 (ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)

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