教育と医療の二兎を追う 最上医師の人生たどる 結核療養所に学びの場

2021年5月17日 07時16分

「二兎を追う」を出版した橋本伸一さん=宇都宮市で

 栃木県立わかくさ特別支援学校の前学校長橋本伸一さん(61)=宇都宮市=が、結核の宇都宮療養所で長く所長を務めた医師最上修二(一九〇一〜七四年)の半生をたどった本「二兎(にと)を追う」(随想舎)を著した。最上所長の最大の功績でもあった療養所内に結核特殊学級を設置した経過などをまとめた。本のタイトルは、「教育」と「医療」を追い続けた最上所長の合言葉でもあった。 (原田拓哉)
 橋本さんは、勤務していた同支援学校の敷地に、かつて宇都宮療養所があったことから、療養所の歴史を調べ、最上所長を知った。自宅に残されていた日記には、子どもたちのための結核特殊学級設置への奮闘ぶりがつづられていた。
 秋田県出身の最上所長は、医大を卒業後、同療養所に赴任。戦後間もなく、二代目の所長に就任した。
 当時、結核に感染した子どもたちは、療養所に閉じ込められ、学ぶ機会が限られていた。出席日数が足りずに進級ができず、十七歳で小学生ということも珍しくなかった。
 最上所長は、県や市の教育委員会などへの陳情を重ね、病棟内に結核特殊学級を開設。机やいすなどの備品も病院予算でやりくりした。
 教員確保にも奔走し、開設当初は、結核で別の療養所に入所していた「見習教員」が「患者先生」として転院してきた。
 最上所長は軍医として旧満州(中国東北部)に出征。宇都宮空襲では、二人の息子が犠牲になり、日記には、回診の際に、幼い男の子を亡き息子に重ね合わせた様子も記されていた。
 橋本さんは「結核の子どもたちに学ぶ機会を、という考えは、当時なかった。最上所長は、それぞれの家庭環境にも目を向けて接するヒューマニストでもあった」と話す。
 千九百八十円。主な書店で取り扱っている。

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