キヨシローの聖地多摩だぜ 若いファンも続々「たまらん坂」 母校・お墓・「ハウス」・「酒店」巡礼

2021年5月20日 07時04分
 今年、生誕七十年のロック歌手、故・忌野清志郎さんの「聖地」が、東京・多摩地域に点在する。十三回忌を迎えた今月、ゆかりの地を訪ねると、今も「キヨシロー」を愛する人たち、没後にファンになった若い世代が、RCサクセションを率いた伝説のロックスターに思いをはせていた。
 命日の五月二日。国立市と国分寺市の境にある「たまらん坂」。坂の中程にある標柱の周りには、忌野さんの写真やTシャツが供えられ、ファンが次々と花を手向けたり、写真を撮ったりしていた。忌野さんがCMに出演したメーカーの缶ビールを置く人もいた。

命日に多くのファンが訪れた「たまらん坂」。標柱には、一橋大生が「たまらん、たまらん」と言って上ったとの地名の由来とともに、当て字で「多摩蘭坂」と書くことが記されている

 ここが「聖地」になったのは、RCサクセションに「多摩蘭(たまらん)坂」というバラードがあるからだ。忌野さんが、近くに暮らした経験も踏まえて作った。坂を上ると、曲の世界が現実と重なり、キヨシローへの思いを語りたくなるが、今は新型コロナ緊急事態宣言の最中。ファン同士が語り合うことはなく、皆、数分で立ち去った。
 「同じく緊急事態宣言中だった去年より、花も飾りも減った。キヨシローもだんだん忘れられてしまうのか」。毎年来ているという中年の男性ファンは、こうつぶやいたが、実際には、亡くなった後に好きになったというファンも相次いで訪れていた。
 世田谷区から自転車で駆けつけた会社員、小林和弘さん(34)も、その一人だ。忌野さんが率いた覆面バンド「ザ・タイマーズ」がラジオ局に曲を放送禁止にされ、テレビの生放送中に抗議する曲を急きょ演奏した「FM東京事件」を死後に知って「こんなにすごいロックスターがいたのか」と驚いた。「迎合せず、自分のやりたいことをやるまっすぐなハートにひかれる」と話した。
 国立市の会社員、佐藤政志さん(29)も、ファンになったのは五年前に市内に引っ越してきた後だ。「行動に一貫性がある感じにひかれる。特に好きな曲は『I LIKE YOU』。シンプルな言葉を使い、コードもあまり動かないのにキャッチーだし、優しさにあふれている」と語った。
 忌野さんは国分寺市で幼少時代を過ごし、多摩エリアの各地に足跡が残る。高校生が授業をさぼって屋上でたばこをふかす「トランジスタ・ラジオ」は、忌野さんの母校・都立日野高校での実体験が基になったといわれる。老朽化により当時の校舎は解体された。
 お墓は八王子市の高尾霊園高乗寺にあり、命日には大勢のファンが訪れる。福生市にも縁が深い。忌野さんは一九七〇年代、米軍横田基地の米兵が退去した後の「米軍ハウス」に移り住んだ。同市には、忌野さんのステージ衣装を手掛けた「テーラーKブラザーズ」もあったが、閉店した。
 現在もファンが訪ねる店は、瑞穂町にある一九二三年創業の「西久保酒店」だ。二年前に亡くなった同店三代目の西久保重一さんは忌野さんのいとこ。店の七十周年と八十周年の際に記念の日本酒のラベルを忌野さんが手掛け、ファンに知られるようになった。

忌野さんがラベルを描いた西久保酒店80周年記念酒の瓶と箱

 今は一人で店を切り盛りする妻(64)は「夫が『キヨシちゃんは絵がうまいから』と頼んだら、気楽に『いいよ』と引き受けてくれた。気さくで、八十周年のラベルの原画は、自転車で店まで届けてくれました」と振り返る。命日の前後には今年も熱心なファンが訪ねてきた。「皆さんの心には今でも清志郎さんが生きているんでしょうね」
<いまわの・きよしろう> 1951年4月2日〜2009年5月2日。高校在学中にRCサクセションを結成し、1970年にデビュー。「雨あがりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」がヒットした。88年には所属レコード会社が、反原発の曲を含むアルバム「COVERS」の発売を中止。後に別会社から発売された。91年のRCサクセション活動休止後は主にソロで活動した。06年に喉頭がんを公表。08年に復活ライブを行ったが、その後再び体調が悪化した。

忌野清志郎グッズが並ぶ西久保酒店の棚。忌野さんの没後にファンが持ち寄ったものもあるという=瑞穂町で

 文と写真・林朋実
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