ドキュメンタリー撮影問答 辻智彦著

2021年5月23日 07時00分

◆「何を伝えたい?」問い続ける
[評]小野民樹(書籍編集者)

 ヨルダンの難民キャンプで、目の前で両親を殺された少年の必死の訴えに満島ひかりは言葉を失う。「私にはかなりヘビーで…よそ者が喋(しゃべ)ることなんかないし、喋りだしたら私も崩れそうだし」
 ドキュメンタリー撮影二十年の著者は「己の感覚を全開にして相手と向き合う」女優の姿にカメラを回し続けた。満島は言う。「カメラの前でハプニングのない人間には私はなりたくないですね」
 本書は、小型軽量化したデジタルビデオカメラの急激な進歩による安易な映像があふれる時代に、「ドキュメンタリーとは何か」を問う対話の記録である。
 格闘技試合の直後に闘った相手にカメラを向ける写真家と人間の関係性を撮る方法を語り合い、大震災後に希望して仙台に赴任したNHKカメラマンには公共放送の看板を背負う責任と個性的な撮影の相克を問い、SNSの誹謗(ひぼう)中傷とリアリティショーの問題を韓国映画界の日本人助監督に聞く。解離性同一性障害の画家との対話は、著者に言葉ではとらえられない無意識までをあぶりだす道具としてのカメラを再認識させる。
 撮影六十年、著者の師匠山崎裕は言う。ドキュメンタリーは取材対象と自分との関係性の記録だ。カメラは単なる撮る道具ではない、撮ったものを人に伝える道具であることを忘れるな、と。
 対話は、コロナ後の人間関係にも及ぶ。視覚障害者の父親をもつカメラマンは、人間が関係性を築くには、空気の振動や音を体で感じる触覚が必要だ。テレワークだけではドキュメンタリーは作れないと力説する。
 ドキュメンタリーの撮影とは、例えば美しい風景を撮ることは、その美しさに心を動かされ、カメラを回した自分の感動を記録することでもある。
 なぜそれを撮りたいのか、なにを伝えたいのかを自他に鋭く問うた著者は、再び荒涼とした現場にたちもどる。問い続けることの中にしか答えはない――。ドキュメンタリーの本質に迫る真っ向勝負の映画本である。
(玄光社・1980円)
1970年生まれ。ドキュメンタリーキャメラマン。『実録・連合赤軍』などを撮影。

◆もう1冊 

小野民樹著『撮影監督』(キネマ旬報社)。名作を生んだキャメラマンたち。

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