《宮﨑香蓮の大人の社会科見学 》株式会社ハルタ 日本の制服文化を支えて創業から100年 『HARUTA』の歴史とモノづくり

2021年6月9日 06時58分

女優・宮﨑香蓮が、東京を拠点とした、歴史を重ねている企業に訪問し、自らインタビュー取材します。取材先では、「ヒットの秘訣」「受け継がれている歴史や大切にしているもの」を中心に様々な『モノ・ヒト・コト』をお聞きし、歴史について学んだり、業界ならではのお話、これからについて発信していきます。

学生時代に履いていた革靴『HARUTA』
 白基調のスニーカーが指定されていた中学生の頃から、革靴指定へと変わった高校生。ただそれだけでぐっと大人の気分になったことを思い出します。その足元の相棒だったのがHARUTAさんのローファーでした。高校三年間お世話になった、思い出の詰まったHARUTAさんの靴。当時は、HARUTAかわいいなーくらいの気持ちでしたが、大人になって、まさかお話を伺える日が来るとは...! HARUTAさんが革靴作りに込める思いを早速、宮﨑香蓮が取材してきます!!

多くの人々に革靴を身近なものに


 今回お話を伺った春田勲氏の祖父で創業者の春田余咲氏は、もともと金沢の出身でした。家業は廻船問屋のお店だったそうですが、度重なる悪天候で船が壊れ、立ち行かなくなってしまいます。「それならばいっそもう東京に出よう!」と当時で言う、尋常小学校を卒業してすぐ、東京へ出てきて、日本橋の靴屋で丁稚奉公として働き始めます。現代に置き換えると、まだまだ子どもの年齢!10年ほど修行した後、独り立ちし、浅草にて靴屋を始めます。それが大正6年(1917年)のときのこと。「春田製靴店」という名前のこのお店がHARUTAのはじまりです。

HARUTAの靴を履いて学生時代を過ごしたという宮﨑さん。学生時代を思い出しながら、インタビューさせていただきました。


今でも名残はありますが、当時浅草は「靴の街」として、街全体で分業を行っていました。靴作りは一足にかかる工程が多く、革の裁断、厚みを揃えるきの作業、縫製など、たくさんの作業がある中で春田余咲氏は、ペーパーパターンを起こして靴の上の部分を作る「製甲」の作業を担っていました。その仕事ぶりの評判がとても良く、それが後押しとなり、次第に靴の完全製造、販売も行うようになっていきます。
 最初は子ども靴からのスタートでした。それは日本がこれから豊かになっていくことを見越し、それならば子どもに投資をしようという想いから。徐々に軌道に乗ると、大人用の靴も作っていくようになりました。昭和30年(1955年)には今でもHARUTAの看板商品である「スポックシューズ」が誕生します。
 お話を伺った春田勲氏は子どもの頃、お祖父様から「できたから履いてみろ」と出来たてのスポックシューズを渡されたことを覚えているそうですよ。「スポッと履けてスポッと脱げるからスポックシューズ!」は今でも愛され続けている商品です。

1955年に発売され、現在に至るまで作り続けられている人気のスポックシューズ。


 しかしながら、当時革靴はまだまだ高級品で庶民の手に届くものではありませんでした。世間が洋装に変化していく中で、「消費者にも安く革靴を履いてもらいたい」という想いが募っていました。そんな中、アメリカへの視察に行くことが決まります(昭和30年)。その頃HARUTAでは1日に約700足の生産を行っていましたが、視察で訪れたアメリカのメーカーは1日20万足も作っており、春田余咲氏は衝撃を受けました。安くて良いものが色んな人の手にわたっている光景が、生産性を高めることへの強い想いへとつながっていきます。

取締役販売本部長・春田勲氏。幼少時代に、お祖父様でもある創業者・春田余咲氏とのお話もお聞きしました。


 当時、日本国内では靴底は縫い合わせて留められていましたが、アメリカでは接着剤によって留める方法が主流になっていました。春田余咲氏は、大量生産の要である「セメンテッド製法」と呼ばれるこの作り方を帰国後、日本で初めて導入。ドイツ製の機械も取り入れ、ベルトコンベアでの大量生産を成功させます。
 この視察のときに一足のローファーと出会います。それを元に開発されたのが、昭和31年(1956年)に発売された「婦人靴のコインローファー」でした。そのコインローファーは、ダブルストラップで白のステッチが入ったもの。今に続くコインローファーの元となる、HARUTAのアイコン的シューズです。アメリカ視察はHARUTAにとって大きな転機となったのでした。「高品質の靴を、求めやすい適正な価格で」これが現在につながる会社の理念にもなっています。

日本の制服文化になった靴が、海外の観光客にも注目される


 HARUTAと言えば「学生靴」のイメージですが、きっかけは1960年代のアイビールックの流行でした。この頃から、制服もセーラー服からブレザーになる学校が増えてきたのです。そうした制服に合う靴を作るといいのでは?という声を受け、大阪のミッション系の学校の指定靴を製作しました。その時に作りあげたのはワンストラップの革靴。ピアノの発表会で履くような靴、と言うとイメージしやすいでしょうか。
 1980年代になるとDCブランドの流行が来ます。その当時は、高級ブランドが流行ったのですね!この波は制服にも流れ込み、デザイナーズの制服を採用する高校も。修学旅行で東京に訪れた高校生が、東京の生徒が制服にローファーをスタイリッシュに履きこなしているのを見て、「真似したい!」と、そのスタイルは全国に徐々に広がっていきました。
 今では300校以上の学校がHARUTAの靴を指定靴として採用しています。
 学生靴のイメージ、と書きましたが、今では「大人HARUTA」と称した、大人向けの靴作りにも力を入れています。性別にかかわらず、ペアコーデが楽しめるような商品展開を行ったり、他ブランドとのコラボも柔軟に取り入れたりしています。
 今回の取材で驚いたのが、アジア諸国にHARUTAの靴を求める消費者が多いということです。その理由は、海外でも人気の日本のアニメで登場人物達が身に着けている制服に憧れ、日本の制服文化を楽しむ大学生たちがとても多いからだそうです。HARUTAの靴を買うためだけに訪日する観光客もいるそうです。なんだか嬉しいですね!

ハルタの学生靴の「広告」ポスター。創業当時から変わらない特徴が今も受け継がれています。


 マーケットが様々に変化する中で、変わらないのは靴作りへの姿勢。『日本製の革靴を、高品質で、安く、みんなに手にとってもらえるように。』が創業当時から変わらない理念です。質の良い“Made in Japan”の革靴が手に届く価格で手に入ると、日々のライフスタイルが楽しくなりますね。すごく感謝したくなりました。現在、今までの革靴のデザインはそのままに素材をアップデートした、軽くて歩きやすい靴の開発なども行っています。あえて商品の幅を広げすぎることをせず、アップデートし続けたからこそHARUTAのブランドが確立されたのだなと感じました。これからも日本の足元を支え続けてください! 
取材後記

 わたしの高校ではHARUTAは指定靴ではなかったのですが、革靴であればオッケーだったので、迷わずHARUTAをおねだりしました。新品のローファーは同級生のものと間違えたりして、ちょっとした傷で自分の靴を判別していたのが懐かしいです! そういう声に応え、毎年春にローファーのインソールのデザインを新しいものに変えたバージョンも、発売しているそうですよ。そういうちょっとしたところがたまらない!
 実は、高校生のときに買ってもらえなかったものがあって...通称「おでこローファー」と呼ばれる、先が丸くなっているローファー。ずーっと可愛くて欲しかったのですが、なんと今回履かせていただきました!!大人になった今でもときめく可愛さで、めちゃくちゃ嬉しかったです!
 取締役の春田勲さん、広報担当の小西由美子さんお忙しい中、本当にありがとうございました!

《今回の取材先》株式会社ハルタ

創業100年の老舗靴メーカー。1917年、春田製靴店として開業、製造販売をスタートした。学校の指定靴としてトップシェアを誇る。スポックシューズやコインローファーは創業から長く愛されているアイコン的な存在。近年は他アパレル企業とのコラボにも取り組み、若い世代から海外の方々にまで広く人気を集めている。
住所:東京都台東区浅草7-2-3
公式ホームページ




PROFILE
宮﨑香蓮(みやざき かれん)
1993年11月20日生まれ。2006年「第11回全日本国民的美少女コンテスト」演技部門賞を受賞し、女優として活動中。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』ではヒロインの幼馴染・入江すみ役として出演するなど、いま活躍を期待される若手女優の代表格。
【お知らせ】
●テレビ朝日・木曜ミステリー「遺留捜査」出演(滝沢綾子 役)
●「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2020」ジャパン部門ノミネート作品 「BENTHOS」主演(美嘉 役)
●東京2020オリンピック聖火リレー 長崎県内走行聖火ランナー
舞台「マミィ!」出演2021/7/30〜2021/8/8 赤坂レッドシアター

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