浅草喜劇に注ぎ続けた愛情 ー澤田隆治さんを悼むー 西条昇・江戸川大教授 寄稿

2021年5月30日 07時14分

「笑いと健康学会」での澤田隆治さん(右)と西条昇さん=2017年、港区で(いずれも西条さん提供)

 「てなもんや三度笠」など数々の人気番組を手掛け、漫才ブームの仕掛け人でもあったプロデューサーの澤田隆治さんが今月十六日、八十八歳で亡くなった。澤田さんは、テレビ界だけでなく、浅草(台東区)の喜劇、演芸にも大きく貢献した。お笑い評論家で江戸川大教授の西条昇さん(56)=大衆芸能史=が、浅草での澤田さんの足跡について本紙に寄稿した。
 澤田隆治さんが亡くなられたと聞き、すぐに思ったのは、戦後の浅草喜劇に澤田さんほど愛情を注ぎ続けた作り手はいないのではないかということだった。
 大阪・朝日放送に在籍時は「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」などの演出を担当。制作会社社長として東京進出後は「花王名人劇場」で漫才ブームの仕掛け人に。これまで多くの大阪の喜劇人、漫才師、落語家が全国的な人気者になるのに一役買ってきた。

スペシャル番組「浅草喜劇祭」の台本。「企画・澤田隆治」と記されている

 一方で、戦後の浅草で渥美清と共に芸を磨いた関敬六が一九七五年に浅草松竹演芸場で劇団を旗揚げすると、「浅草に喜劇の灯をもう一度!!」との関の考えに共鳴して演出を引き受け、九一年まで毎年公演を続けた。七七年から翌年にかけては台東区の後援でスペシャル番組「浅草喜劇祭」を三本制作し、七九年には浅草公会堂で収録された「満員御礼! 三波伸介一座」を演出。九八年からは現在まで木馬亭で喜劇の公演を続けている「お笑い浅草21世紀」の世話人に名を連ねてきた。
 「大阪のテレビ演出家が浅草の喜劇をねえ…」。当初は周囲から、そんな声も聞こえてきた。しかし、戦後に京城(現在の韓国・ソウル)から引き揚げた頃に父の故郷の映画館でエノケンこと榎本健一の喜劇映画を見て笑い転げた経験があり、自分の笑いの原点はエノケンが作った浅草喜劇であるとの思いが強かった。
 私が浅草の劇場に通うようになった中学時代、面白いと思った喜劇公演の大半は澤田さんの演出によるものだった。駆け出しの放送作家となっていた八八年の冬に今はない常盤座で見た「花王名人劇場」の忠臣蔵を題材とした喜劇の回の収録も、東西の喜劇人たちが芸を競い合い、劇場は熱気にあふれていた。
 そのすぐ後に、私は憧れの澤田さんに手紙とコント台本を送ってみると、直々に連絡があり、翌八九年には三本の番組で台本を書かせていただけることに。仕事に関してはシビアで妥協を許さなかったが、浅草喜劇について質問すると、何時間でも話は尽きなかった。 
 その後、澤田さんと数えきれないほどの番組やイベントをご一緒した中で、とりわけ印象深いのは、澤田さんの企画、私の構成で二〇〇四年に浅草・雷5656会館ときわホールで開催した「生誕100年記念 エノケン映画祭」だろうか。大好きなエノケンについて舞台で語る澤田さんの顔は少年時代に戻ったかのようだった。また、浅草公会堂での「漫才大会」で〇八年から一二年まで行われた「東京漫才の殿堂入り」の企画も二人で一緒に考えたものだ。
 澤田さんをしのぶ公演が浅草で実現できたら良いのだが…。(江戸川大教授・お笑い評論家)

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