死後700年、ダンテの有罪判決は無効!? イタリアで弁護士らが再審求め活動

2021年5月31日 06時00分
 ルネサンス文化の礎を築いた「イタリア最大の詩人」ダンテ・アリギエリ(1265―1321年)が政争の末に市外追放の有罪判決を受けて以来、生涯戻ることのなかった出身地フィレンツェの弁護士らが、「恣意的しいてきな裁判で無効だ」として再審を求める活動を進めている。一方で、再審請求権を持つ末裔まつえいは「歴史を変える必要はない」と消極的。死後700年の節目に迎えた論争によって、偉大な文学者の足跡に再び注目が集まっている。(パリ・谷悠己)

イタリアの詩人ダンテ・アリギエリの肖像画=ゲッティ・共同

◆700年が過ぎても再審請求は可能

 「ダンテと故郷との痛々しい決別の真実を求めるための、重要な試みだ」
 今月21日にフィレンツェで開かれた討論会「700年後 ダンテ裁判の再審」で、ナルデラ市長はこう述べて活動を評価した。
 討論会はフィレンツェ弁護士会が主催し、イタリアの最高裁に当たる最高破棄院の裁判長補佐ら司法界の重鎮が集結。8時間にわたり歴史書をひもときながら議論し、ダンテが1302年に受けた有罪判決を「政治的な意図の下に開かれた違法な裁判の結果で、再審により無罪を勝ち取ることも可能だ」と結論付けた。イタリアの法律では、正統な遺族が有効な証拠を提出すればいつでも再審が請求できるという。

◆なぜダンテは有罪に?

 ダンテが裁かれた背景には何があったのか。
 当時のイタリアは、ローマ教皇派の「ゲルフ」と神聖ローマ皇帝派の「ギベリン」に分かれた都市国家が対立。ゲルフに属するフィレンツェ内はさらに、新興市民層の「白派」と保守層の「黒派」に分裂していた。
 貴族家系のダンテは市政をつかさどる白派の要職を務めていたが、市外滞在中に起きた政変で黒派が実権を掌握。公金横領などの罪に問われ、欠席裁判の末に高額な罰金刑と市外追放の判決を受け、支払い拒否後の2度目の公判では死刑が宣告されたと伝えられる。
 故郷の門を2度とくぐれなくなったダンテは北イタリアを転々とし、代表作「神曲」を完成させた地ラベンナで死去。遺体は現在も同市内に埋葬されている。

◆末裔「再注目されるのは良いこと」

 討論会には、ダンテの19代目の末裔で天文学者のスペレッロ・セレゴ・アリギエリ氏(69)も出席していた。
 伊国内では同氏が再審活動を始めたとする報道もあるが、本紙の電話取材に「私は一切関わっていない。試みとして面白いので、イベントには参加することにしているが、実際に再審を求めることは今後も永久にない。他の親族とも話し合った結果だ」と断言する。
 フィレンツェは長年にわたり、ダンテの遺体をラベンナから移送することを望んでおり、今回の再審活動もその延長線上にあるとみられるが、同氏は「再審や遺体の移送は本人も望んでいないはずだ」と話す。

スペレッロ・セレゴ・アリギエリ氏=本人提供

 ダンテとともに追放された息子らを起源とする末裔たちもフィレンツェには戻らず、北イタリアを中心に散在してきたという。
 ダンテはゲルフとギベリンの抗争が背景であるシェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台ベローナにも滞在した。セレゴ・アリギエリ家は、ダンテの息子ピエトロが同市郊外に得た土地を拠点とするワイナリーとしても知られる。半面、天文学者のスペレッロ氏はガリレオ・ガリレイが晩年を過ごしたフィレンツェ郊外の別荘前に築かれたアルチェトリ天文台での勤務が長く、フィレンツェ人気質も良く理解しているという。
 スペレッロ氏は「今回の活動は、フィレンツェの人たちがダンテ追放に対して長年抱いてきた後悔の念を象徴している」と述べた上で、国内外で報道されたことには「死後700年の節目にダンテが再注目されるのは良いこと。その意味で活動は成功したといえる」と総括した。

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