<社説>コロナ禍の東京五輪 大切な命を守れるのか 

2021年6月1日 08時07分

五輪シンボルマークのモニュメント=東京都港区で

 新型コロナウイルスの感染拡大がこのまま続けば、今夏の東京五輪・パラリンピックは「安心・安全」とは程遠い大会になる。人の命を危険にさらしてまで、開催を強行することは許されない。
 東京や愛知など九都道府県の緊急事態宣言が、二十日まで延長された。感染力の強い英国型の変異株が広がる。医療が逼迫(ひっぱく)し、自宅で命を落とす人もいる。頼みのワクチン接種は遅れている。
 東京では、一日当たりの新規感染者の減少傾向は鈍い。今後、より感染力の強いインド型が広がる恐れがあり、宣言解除の糸口は不確かだ。
 そんな中、政府や東京都、大会組織委員会は、国際オリンピック委員会(IOC)とともに「開催ありき」で突き進んでいる。海外からウイルスが持ち込まれ、大量の人の流れによって感染が拡大する懸念は拭えない。

◆専門家の懸念に耳を

 五月二十八日の菅義偉首相の記者会見は、開催国の最高責任者として失格である。
 緊急事態宣言中でも開催するかを重ねて問われ、最後まで正面から答えなかった。「イエス」も「ノー」も言わないのは、宣言中であっても開催する余地を残したいからだ、と多くの人は思う。
 その一週間前、IOCのコーツ調整委員長が「答えはイエスだ」と開催を明言し、世論の反発を招いている。その二の舞いを避けたかったのだろうが、これほど重要な問題に言葉を濁し、大会への信頼が得られるはずもない。
 競技場に観客を入れることについて、首相がプロ野球などを例に前向きな姿勢を示したことにも驚いた。「本当に人々の命が守れるのか」と問いただしたい。専門家の警告に、真摯(しんし)に耳を傾けるべきである。
 例えば、政府の有識者会議メンバーの舘田一博・前日本感染症学会理事長は「宣言が出されている状況で大会ができるとは思わないし、やってはいけないというのは国民皆のコンセンサスと思う」と語った。東京都医師会の尾崎治夫会長も、開催目安として「都内の一日当たりの新規感染者が百人以下」と指摘。開催条件として「無観客」も示している。
 大会の選手と関係者は計九万人を超え、国内スポーツとは規模が違う。当初の半数以下に減らしたというが、多さに驚くばかりだ。より大胆に削減するべきだった。
 滞在中の健康管理や行動管理も万全とは言い難い。選手らのワクチン接種が進むのは歓迎するが、過信はできない。出国前と入国時に加え、滞在中に頻繁に課されるウイルス検査も、すり抜けるサンプルは一定割合で存在する。必ず「穴」はある。
 また、原則的に公共交通機関を使わず、訪問先は練習会場や選手村などに限られるというものの、膨大な人数の行動確認が本当に可能かどうかは疑わしい。
 医療従事者の大量動員にも懸念が募る。一日最大で医師二百三十人、看護師三百十人。スポーツドクターや離職中の看護師らを中心に八割程度を確保した、とされるが、地域医療への影響を検証する材料は示されていない。

◆意義消え、増すリスク

 大会は本来「人類の祭典」のはずだった。平和な環境の下で一堂に会し、肉体と命のすばらしさを謳歌(おうか)する。性別、人種、宗教、国境…。お互いの差異を超え、友愛や平等など普遍的な価値観や人間性を実感する場だった。
 だが、コロナ禍で選手の練習や競技環境が激変し、人々の交流も見込めない。失業や生活苦が広がり、大会の過剰な商業主義、膨大な経費への批判も高まっている。
 開催の意義は色あせ、リスクばかりが増大している。そして政治と行政が大会を特別扱いし、優先する姿勢が、国民の拒否感に輪を掛けている。
 五月に本紙が行った都内有権者への意識調査で、「中止」を求める声は60・2%に達した。
 こうした民意に背を向けて開催を強行し、感染が拡大する事態になれば、日本の政治、世界のオリンピズムは取り返しの付かない不信にまみれるだろう。
 何より大切なのは、人々の命と健康だ。開催できるのは、それが守られるという確信を多くの人が共有した時だけである。

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