「ナニジンか」問い直す旅 『越えていく人南米、日系の若者たちをたずねて』 劇作家・神里雄大さん(38)

2021年6月6日 07時00分
 ペルーに始まり、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、そしてボリビアへ。気鋭の劇作家が、南米に暮らす日系人の若者を訪ね歩いた旅の記録。「日系人というと、思い浮かべるのは一世の方々の苦労。今その場所にいる若い世代の人たちが、日本をどう考えているのか聞きたかった」
 自身もペルーの首都リマで、日系人の家庭に生まれた。生後半年で日本に渡り、育ったのは川崎市。海外にルーツがあることを意識したのは、大学生になってから。「みんなと違うのは優位になるかな、くらいの考えだった」。八年前、ペルーを題材にしたパフォーマンスの依頼があり、何も語れなかった自分が恥ずかしくなった。「自分はいったいナニジンなのか」。これまで悩んだことのなかった自身のアイデンティティーについて、向き合うようになった。
 二〇一六年秋から約一年弱、文化庁の新進芸術家海外研修員としてアルゼンチンに滞在。南米各地の日系人居住地に足を運び、「現地で別の人生を送っていたかもしれない自分の姿を想像した」。パラグアイで出会った青年は「自分はナニジンだと思うか」という問いに、「パラグアイ人」だと答える。だが日系人であることも意識するからこそ、例えば遅刻をすると「日本人だったら時間にキッチリなんだろうな」などと考えてしまうという。ブラジルのサンパウロで出会った日系人の若者たちは、日本人であるという意識は希薄だった一方で、ルーツの一つとして前向きに日本語や日本文化を受容していた。
 そして最後に訪れたボリビア北部の小都市では、もはや日系人が残した痕跡が消えかかっていた。まとまった聞き取りができない中、屋台で日系人かどうかも分からない店主が、流ちょうな日本語で話しかけてくる。これまで勝手に思いつめていたことが吹っ切れた瞬間だった。「日系人ばかり追いかけていたけれど、血だの国籍だの、そもそもナニジンかという問いなんて、実はどうでもいいんじゃないかと」
 旅を通して、日本語の新たな可能性も感じた。パラグアイの居住地で使われていたのは、「サッカーを遊ぶ」という耳慣れない表現。日系人たちは現地語の感覚や身体性を取り入れながら、日本語を「拡張」していた。「日本の日本語も、もっと開かれた存在であっていい。多様な日本語の存在が、多様な価値観を認め合う社会につながるはずです」。亜紀書房・一九八〇円。 (宮崎正嗣)

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