日本回帰と文化人 昭和戦前期の理想と悲劇  長山靖生著

2021年6月6日 07時00分

◆祖国と向き合った内面凝視
[評]平山周吉(雑文家)

 著者の長山靖生が「はじめに」で発する疑問は、長山自身が「とても単純」と認めているが、あまりにも大事な疑問である。一応の成功を収めた近代日本が、なぜ無謀な日米戦争に突入したのか。
 『日本回帰と文化人』はその疑問を昭和史から解明するのでもなく、後世からの批判で済ませるのでもない。昭和十年代の日本の文化状況に正面切って向き合う。一見すると迂遠(うえん)なアプローチをあえて試みる。時代を代表する作家、詩人、学者といった「文化人」の仕事と内面に寄り添う形で、近づこうとするのだ。その際のキーワードが「日本精神」「日本回帰」である。
 「昭和十年代」は誰にとっても忘れたい「過去」だった。司馬遼太郎は『この国のかたち』で、「あんな時代は日本ではない」と叫びかけている。戦後のある時期までは、悔恨の中で隠蔽(いんぺい)されていた「昭和十年代」が、冷静に再検討されるまでには時間がかかった。長山はさらに本書で「文化人」を網羅的に検討して、時代の壁画を描こうとする。試みるに値する力業である。
 言論の幅が狭まり、戦争へと向かう時代、その空気の中で執筆し、発言する。文字で残された言葉がすべて「妥協の産物」であったはずはない。「戦地で同胞が死に続けている最中、祖国の歴史や国家と自己の関係を見直すのは、内的要請でもあったろう」という観点を持している。
 「自由主義の防衛ラインを下げて固め直」した和辻哲郎、「軍部指導層にも受け入れ可能な戦火縮小」案を提示した京都学派、言論の自由の許容度を測る「バロメーター」となった三木清らがおり、その一方で政府から忌避され、睨(にら)まれる荷風や谷崎の「日本」もあった。
 終章は「それぞれの戦後」にあてられる。中では小林秀雄の『本居宣長』を、「『近代の超克』当時に言葉にしがたかった漠然とした思いを、数十年かけてまとめたもの」であり、小林の「戦前戦後思想の総決算」と見ている。
 昭和の総決算は、平成令和になっても済んでいないと、本書を読んで痛感した。
(筑摩選書・1870円)
1962年生まれ。歯学博士・文芸評論家。著書『日本SF精神史』など多数。

◆もう1冊

『近代の超克』(冨山房百科文庫)。河上徹太郎、小林秀雄らによる戦中の伝説的討議の全文を、戦後の竹内好の道案内で読める。

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