<望 ~都の空から>立川 闘争の歴史 土地に刻む

2021年6月6日 07時00分

住宅街に昭和記念公園の緑が広がる立川市の上空=本社ヘリ「おおづる」から(千葉一成撮影)

 駅周辺には商業ビルが立ち並び、市西部には広大な公園に囲まれた滑走路が南北に真っすぐに延びる。米軍立川基地の跡地にできた国営昭和記念公園と陸上自衛隊立川駐屯地だ。
 旧日本陸軍の立川飛行場があった立川市では、戦後に米軍に接収された土地が徐々に返還され、街の再開発が繰り返されてきた。不動産開発を中心に営む「立飛ホールディングス」は、戦前・戦中は陸軍向けに練習用の飛行機を製造。戦後、米軍に接収されていた土地が返還され始め、1970年代に不動産開発を本格化させた。人工ビーチバーベキュー場「タチヒビーチ」も返還された土地の一部。海のない立川で南国タヒチの雰囲気を演出する。
 米軍が撤退する契機となった砂川闘争では、55年に表面化した滑走路拡張計画に反対する住民らと機動隊が度々衝突した。米軍は68年に拡張中止を発表。市民団体「砂川平和ひろば」代表の福島京子さん(71)は「砂川闘争がなければ、駅前もほとんど基地だった。闘い続けた結果、時代の変遷が生まれた。だが、日本中に今も基地があり続け、日米安保を巡る問題も解決されていない」と話す。 (竹谷直子)

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