64年東京五輪出場の飯島秀雄さん、7月に茨城で聖火ランナーに 代走専門でプロ野球でもプレー

2021年6月8日 12時00分
 陸上男子100メートルの元日本記録保持者で1964年の前回東京五輪に出場し、その後は代走専門のプロ野球選手に転身した水戸市の飯島秀雄さん(77)が、7月に茨城県内で予定されている東京五輪の聖火リレーでランナーを務める。新型コロナウイルスの感染次第で中止もありうるが、「前回五輪でもらった応援に恩返しできるような走りをしたい」と、実施を信じて準備を進めている。(松村真一郎)
 飯島さんは、早稲田大の学生だった1964年6月、遠征先の旧西ドイツで開かれた国際大会で10秒1(手動計時)を記録し、コーチだった吉岡隆徳さんが35年に打ち出した10秒3(同)の日本記録を29年ぶりに更新。直後の東京五輪に出場した。

東京五輪の男子100メートル1次予選を1着で突破した飯島秀雄さん(下)=1964年10月

 国内で初開催の五輪に日本記録保持者として臨むため、メダル獲得への周囲の期待は強かった。スタートラインに立った時は、あまりの大歓声に「穴があったら入りたい気持ちだった」と笑いながら振り返る。20歳で迎えた初の夢舞台は準決勝で敗退した。大学卒業後の茨城県庁入庁後も競技を続け、4年後のメキシコ五輪に出場したが、またも準決勝止まりだった。
 その力走にプロ野球界が注目。「走塁コーチになってほしい」と請われて翌69年からロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。知らぬ間に選手契約が結ばれていたといい、代走専門の選手としてグラウンドに立った。
 球団オーナーに「年間30盗塁以上すれば、1盗塁ごとに1万円を付ける」と期待されたが、引退した71年までの3年で通算23盗塁にとどまった。
 引退後は出身地の水戸市で運動具店を開業し、走ることから遠ざかった。再び五輪と関わるチャンスが舞い込んできたのは、2019年の秋ごろだった。

「前回の東京五輪で応援してもらったことへの恩返しを胸に聖火リレーを走りたい」と話す飯塚秀雄さん=水戸市で

 茨城県内での聖火リレーの走者公募を知り、ランナーの血が騒いだ。前回の東京五輪で応援してもらったことに感謝を伝えたいと思うようになった。気づいた時には応募の締め切りを過ぎ一度は諦めたが、県推薦で走ることになった。
 かつてのトップランナーも老いにはあらがえなかった。30年以上まともに走っておらず、練習したが、「少し走るだけで心臓はバクバク」。初めは50メートルを走るのがやっとだったが、足腰を鍛え、今では400メートルほど走れるまでになった。
 茨城県内では、7月4、5日に約180人が16市町を巡って聖火をつなぐ。飯島さんは初日に水戸市内で走る予定だ。
 ただ、県は、外出自粛を要請している自治体では公道でのリレーを中止する方針を示す。水戸市は現時点で対象ではないが、今後の感染次第で取りやめの可能性もある。
 飯島さんは「感染が広がったら中止になっても仕方ないが、できれば多くの人に見てもらいながら走りたい。あと1カ月に迫ってもまだ実感はないが、やれるだけの準備はしていきたい」と目を輝かせた。

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