北極探検隊の謎を追って ベア・ウースマ著

2021年6月13日 07時00分

◆生の煌めき 未知の世界に挑む
[評]角幡唯介(作家、極地旅行家)

 十九世紀末に行方を絶ったアンドレー探検隊は、北極探検史のなかで特異な存在感をはなっている。船や犬橇(ぞり)が当たり前だった当時の極地探検において、彼らが使ったのは気球、ちょっとトリックスターという感じの探検隊なのだ。結果的に三人は北極海に不時着して死亡する。遺体や記録類は三十三年後に見つかったものの、そこから謎が生まれた。彼らは不時着から三カ月近くも北極海の氷上で生きのびたのに、島に上陸した途端、皆ばたばたと死んでしまったらしいのだ。
 著者はこの謎を追跡する女性芸術家だが、その執念は異様のひと言だ。本の構成も自身の追跡報告や探検隊の行動描写の合間に隊員の恋文、遺体解剖記録、日誌等の断片的素材が次々と挿入されており独特である。だが、それらの記録が無機的、客観的なだけに、逆に私は想像力を刺激されて、アンドレー隊が見た風景に導かれてゆく感覚を味わった。不思議なのは、本全体に何か問いかけのようなものが反響しているように感じられることだが、その正体は何なのだろう?
 著者が追い求めるのは、なぜ三人は死んだのか、だ。でもそれに抗(あらが)うかのように、私の目に立ちあがってきたのは彼らがいかにして生きようとしたか、だった。三人は普段デスクワークに従事しており、極地探検の経験はさっぱりなかったらしい。そんな彼らが、どうしてこんな途方もないことを企てたのか。行間から彼らの生きている姿が可視化され、浮かんでくるだけに、むしろこっちのほうが大きな謎ではないかと思えてくる。
 野心があったのだろうか。無論あっただろう。でもそれだけではなかったと思う。死んだ三人はきっとそれと同じぐらい別の純粋な動機につき動かされていたはずだ。不安や恐怖のなかで未知の世界に飛び立たざるをえなかった彼らの心中を思うとき、私の胸には強い感情が走った。
 人間の純粋な生は、狂暴(きょうぼう)な死を前にしたふるまいのなかにあらわれるのだろうか。だとすれば、死の謎を追うことは生の煌(きら)めきを見つけることに等しいのかもしれない。
(ヘレンハルメ美穂訳、青土社・2420円)
1966年生まれ。スウェーデンの医師、イラストレーター。

◆もう1冊

フリッチョフ・ナンセン著『極北 フラム号北極漂流記』(中公文庫BIBLIO)加納一郎訳。 

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