東京中から搬入 警視庁遺失物センター  落とし物 時代を映す

2021年6月17日 06時28分
 過去最多を記録し続けてきた「東京の落とし物」が昨年、激減した。新型コロナウイルス感染拡大に伴い外出量が減ったためだ。前回東京五輪が開催された一九六四(昭和三十九)年と比べてみると、数や中身は様変わりしている。落とし物は世に連れ、世は落とし物に連れ−。

袋詰めで並ぶ鉄道会社別の落とし物。会社ごとに袋の色が異なる

◆昔ふろしき今カード 昨年コロナで3割減

 東京中の落とし物が集中管理される警視庁遺失物センター(文京区)。五階建ての三階フロアでは棚に、緑や青、赤色の「納袋」が並んでいた。
 袋の中には、鉄道会社から届けられた落とし物が入れられている。鉄道ごとに袋の色が決められ、一定期間の落とし物が同じ袋に。データベース化され、持ち主が確認されれば、ここから返却される。
 現在の保管期間は三カ月。二〇〇七年の遺失物法改正で半年から、短縮された。それを過ぎると、個人情報が入ったものなどを除き、拾った人が所有権を主張できる。引き取り手がいなければ、業者に買い取られたり、廃棄処分されたりする。
 落とし物の特徴が広く知られると、いたずらに自分の物と主張される可能性があるとして、落とし物そのものの撮影は許されなかった。袋の一つを見せてもらうと、ビニールで丁寧にくるまれた柔道着やペンケース。袋に入らないベビーカーやキックスケーターもある。「車いすや松葉づえ、骨つぼもありました」。案内してくれた安間勇峰(やすまはやたか)・遺失物第二係長の言葉に驚く。

大量に保管された傘=いずれも文京区の警視庁遺失物センターで

 他のフロアには、警視庁管内の警察署に届けられた落とし物も集められている。落とし物の「定番」の傘は、地下一階にまとめられていた。センター内で「一雨三千本」とも語られているそうで、さすがに圧巻だ。昨年一年間に取り扱ったのは約二十四万一千本。カラフルな傘に発見場所や日時が書かれたタグが取り付けられ、首を長くして主を待つ生き物のようにも見えた。
 前回東京五輪があった六四年、落とし物の総数は百万点に満たなかった。三位の「銭入れ」、四位の「ふろしき」、七位の「万年筆」が時代を感じさせる。バブル期の一九八九(平成元)年は百四十七万点以上に増え、「電気製品類」や「貴金属・宝石類」がランク入り。こちらも時代だろう。
 それから三十年、二〇一九年の総点数は三倍以上の四百五十三万点以上に増えた。電子機器は小型化し、携帯電話が普及、カード類を持ち歩くことが増えたことが背景にある。しかし昨年、ぱんぱんになっていた保管スペースに、にわかに余裕が生まれた。コロナ禍で、落とし物が三割以上減ったからである。
 作家・開高健は五輪前年の六三年、遺失物センターをルポした際、「世界一のあわただしさで、血相変えて、右に左に、東西南北へ走りまわるのであるから、その体からはじつにさまざまなものが遠心分離機にかけたみたいに飛び散るのである」と表現した。
 コロナ禍で「遠心分離機にかけた」ような日常は奪われた。コロナ後、どんな日常が待っているのだろう。

コロナ禍の影響もあって空の棚も

 落とし物をしても持ち主に戻ることが「日本の良さ」としてしばしば語られてきた。昨年、落とし主に戻った現金は七割超。窓口で外国人観光客が、落とし物が見つかったうれしさのあまり、担当者に握手を求める場面もあるという。落とし物が減っても、こんな「ドラマ」は減ってほしくない。
<警視庁遺失物センター> 警視庁が1941(昭和16)年に現在の場所で遺失物業務を開始するも、45年に空襲で焼失。49年、庁舎を応急的に修繕して業務を再開した。78年に現在の庁舎が完成。警視庁総務部の付置機関。
 文・佐藤大/写真・市川和宏
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