「憲法の原点」守れ 震災で荒廃した南相馬の鈴木安蔵宅 反原発活動の元漁師が記念館建設へ奔走

2021年6月18日 18時00分
 「日本国憲法の間接的起草者」とされる憲法学者、鈴木安蔵やすぞう(1904~83年)の生誕地である福島県南相馬市小高区に、記念館を建設する計画が進んでいる。旗振り役は元ホッキ貝漁師の志賀勝明さん(73)。東日本大震災の津波で自宅も船も流され、原発事故で避難を余儀なくされた被災者の1人だ。失意の中、傷だらけの故郷が日本国憲法の故郷でもあると知り、鈴木安蔵の生家を守りたいと資金集めなどに奔走している。(坂本充孝)

▽鈴木安蔵 1904年3月3日、福島県小高町(現南相馬市小高区)生まれ。旧制相馬中学、同第二高等学校を経て京都帝国大学に入学。26年1月の学連事件で治安維持法初の逮捕者となり、自主退学。在野の研究者として憲法学を確立し、民間の7人で構成された「憲法研究会」の中心として「憲法草案要綱」を作成する。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、主権の主体を天皇から国民に置き換え、基本的人権を保障した同要綱に着目、現在の日本国憲法の骨子とした。これにより、鈴木は「日本国憲法の間接的起草者」と呼ばれる。静岡大学、愛知大学、立正大学などで教壇に立ち、83年8月に死去。  

◆主屋は国登録有形文化財

 小高区は2011年3月の東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、全ての住民が避難する無人の町となった。16年7月に避難指示解除となったが、事故前に1万3000人ほどいた住民のうち帰還したのは4000人ほど。JR小高駅前の通りは静まり返っている。

鈴木安蔵の生家

 その一角に鈴木安蔵が18歳まで過ごした生家がある。震災前までは縁者が居住していたが、現在は無人。土蔵部分は地震で倒壊し、併設の薬局店舗も取り壊され、残っているのは主屋のみ。主屋は国登録有形文化財となっている。
 「このままでは建物も朽ちていく。鈴木先生の業績を広く世間の人に知ってもらうためにも保存活動がぜひとも必要」と志賀さん。
 昨年8月、地元有志で「鈴木安蔵を讃える会」が結成され、生家を記念館とし、関係資料を保存する計画がスタートした。学術参与として、金子勝立正大名誉教授、吉原泰助元福島大学長らの顔ぶれが並ぶ中、志賀さんは会長に選出された。この計画にかける気持ちがひときわ強いことを誰もが知っていたからだ。

鈴木安蔵の生家の前に立つ志賀勝明さん=福島県南相馬市小高区で

◆たとえ煙たがられても…

 志賀さんは小高で育ち、高校を卒業すると父のあとを継いでホッキ貝の漁師になった。しかし当時、福島県の海岸部は原発地帯に変わろうとしていた。
 福島第1原発は1971年に運転開始。第2原発の計画も生まれ、73年に地元住民を集めた公聴会が開催された。その席で若い志賀さんは質問に立った。「原発は本当に安全ですか。住民は不安に思っている。そんな気持ちを無視しても、造らねばならないものですか」
 第2原発の建設差し止め訴訟に原告として加わると、翌日から漁師仲間の態度が変わった。所属する漁協は、東京電力による補償の約束と引き換えに原発容認の方針を打ち出していた。
 志賀さんの存在は煙たがられた。出港前に組合幹部に囲まれ、「海の上で何があっても助けにはいかない。その覚悟はしていけ」と脅されたこともあった。
 孤独な漁が40年も続いた。そして大震災。船は津波で流され、倒壊した漁協事務所の上で見つかった。新築して4年ほどの家も半壊、放射能汚染が追い打ちをかけ避難生活になった。
 津波の被害はあきらめがつく。しかし原発事故さえなければ、故郷を捨てる必要はなかった。志賀さんは「国をあげて天皇のために戦争をしていた時代に、獄につながれ、民衆の国を造りたいと新憲法草案を書いたのが鈴木安蔵先生だった。その原点があしき国策の典型である原発の被災地に取り残された。あまりにも皮肉。その意味を大勢の人に考えてほしい」と話す。
 「讃える会」では会員を募集し、協力金を受け付けている。入会申し込みは郵送かファクスで。〒979 2533 福島県相馬市坪田字八幡前21 志賀勝明、ファクスは0244(26)4645。

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