一度きりの大泉の話 萩尾望都(もと)著

2021年6月20日 07時00分

◆傷負った言葉に漲る潔さ
[評]ヤマザキマリ(漫画家・文筆家)

 萩尾望都の作品が人々を惹(ひ)きつけて止(や)まない理由は、主題の多様性にかかわらず、それぞれの物語の中に潜在している獰猛(どうもう)で複雑な人間心理に向けられた、勇気ある洞察力にあるのではないだろうか。『ポーの一族』のエドガーも、『トーマの心臓』のトーマも、社会の不条理や失望によって繊細な心を打ち砕かれつつも、荒波のような人間の精神世界に踏み込んでいく孤高で勇敢な戦士たちであり、そんな彼らの姿勢に私達は心を掴(つか)み取られるのではないだろうか。
 こうした主人公を生み出す作者が、過去にどのような苦悩や葛藤を経てきたのかを想像するのは、作品を読めば難しくはない。だから正直、今回この書籍の刊行を知ってもすぐに手に取りたいとは思えなかった。作品という形而下の表現を介してではなく、作家本人の生の言葉で綴(つづ)られる忘却し続けてきた過去の吐露を読むことは、やはり幾つかの過去を封印している私にとって、容易では無かった。
 しかし思い切って本を開いてみると、そこに綴られている緻密に抽出された傷だらけの言葉には、潔いパワーが漲(みなぎ)っていた。大泉時代の出来事や当時の人間関係について私が独断的な見解を挟む筋合いはないし、古今東西、表現を生業(なりわい)とする人間同士にとって軋轢(あつれき)や齟齬(そご)が避けられないことは、ミケランジェロとダ・ヴィンチやビル・ゲイツとジョブズなどの関係性を辿(たど)れば明解だから、それほど驚くことでもない。
 私にとって印象的だったのは、そうした出来事の詳細についてではなく、例えば人間関係の歪(ゆが)みとして萩尾氏が挙げている“排他的独占”という、人間の狭窄(きょうさく)的な視野と姿勢がもたらす、現代社会における様々(さまざま)な問題の根拠を示唆した要素である。
 萩尾望都は、崇高な孤独感を抱きながら生きる作家である。この本は、萩尾望都自身が彼女の描く主人公たちと全く同じく、傷を負うことを畏れぬ勇気と強靱(きょうじん)さを兼ねた真の表現者であるということを痛感させ、我々読者に精神面での成熟を促すために刊行されたものと私は受け止めている。
(河出書房新社・1980円)
1949年生まれ。漫画家。69年にデビュー。2011年に日本漫画家協会賞受賞。

◆もう1冊 

萩尾望都著『思い出を切りぬくとき』(河出文庫)。20代の頃の貴重なエッセー集。

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