SFの力を再認識 中国発の話題作『三体』3部作が完結 大森望(のぞみ)さん(翻訳家、書評家)

2021年6月19日 13時45分

(早川書房提供)

 侵略してくる異星人と地球人類との壮大な戦いを描き、世界で累計発行部数二千九百万部を突破した中国SF『三体』(劉慈欣(りゅうじきん)著)の三部作が、ついに日本でも『三体III 死神永生』(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、泊功(とまりこう)訳・早川書房、上下巻)の刊行をもって完結した。翻訳チームのアンカーを務めた大森望(のぞみ)さん(60)は「世界的な話題作を預かり、不安もあったが、何とか最後までたどり着いた」と、ほっとした表情を浮かべる。
 『三体I』は、文化大革命の凄惨(せいさん)な暴力の場面で幕を開ける。革命に父を殺された女性物理学者が宇宙へと放ったメッセージに、地球から約四光年離れた「三体文明」が反応したことで物語が動きだす。続く『三体II』では侵攻を進める三体文明と、人類の命運を託された「面壁者」たちの知略戦が展開。そして『三体III』では、いったん訪れた平和が崩れ、人類はかつてない狂乱に見舞われる。登場人物たちは時空を超え、次元をもまたぎ、衝撃のラストへと到達する。
 スケールの大きさもさることながら、劉作品の真骨頂はその描写力にある、と大森さんは指摘する。「誰も見たことのない、ちゃんと考察したら書けないような場面を正面から描き、しかもすごい見せ場にしてしまう」。例えば『三体III』のクライマックスでは、人類には理解できない地球外の技術によって宇宙に厄災が広がっていく。ともすれば荒唐無稽になりかねないアイデアを、著者は精緻な筆で読者の眼前に出現させる。「こまやかな文学的表現と、うそも休み休み言えと思うような奇想天外さが同居している面白さがある。劉慈欣はこぶしをきかせてサビを歌い上げるタイプの書き手。筆が乗っているのが訳していて分かるので、こちらも気合が入った」
 SFの翻訳には独自の「文法」が存在し、科学技術などの知識も求められる。普段は英訳が専門だが、中国語からの下訳を改訂する取りまとめ役として版元から声がかかった。「原文や英訳版を参照し、ほぼ最初から打ち直していく形になった」と、着手から二年半に及んだ大仕事を振り返る。「(SF作家の)ケン・リュウが担当した英訳版も、誤解の余地がないように解釈を定め、分かりやすく明晰(めいせき)な文章になっている。今回の邦訳も、自分なりの解釈で筋を通すことができたと思う」
 実は初めて英訳版を読んだ時、「普段SFを読まない読者には『三体II』までが理解の限界ではないか」と思ったという。著者自身も『三体III』は「SFファンにだけ向けて書いた」と語っている。しかし最もSF色が濃いと思われた完結編が加わったことで『三体』は世界的な名声を得た。「SFの持つ力を再認識した」と大森さんは強調する。「僕らが小中学生のころにわくわくしたSFのアイデアには、今も変わらぬ力があるんだと」
 原作は二〇〇〇年代後半に書かれ、一五年には世界最大のSF賞とされる「ヒューゴー賞」の長編小説部門をアジアで初めて受賞。以降、中国SFには世界的な注目が集まり、国内でも文芸誌の特集やアンソロジーの発行が続いている。「ちょうど中国では、科学技術や経済の成長と足並みをそろえる形でSFが発展した。日本でいえば大阪万博が開かれ、小松左京の『日本沈没』が書かれた一九七〇年前後の気分に近い」
 その上で、こう付け加える。「日本のSFは一時期、特殊なジャンル小説としてたこつぼ化した面がある。ただ、この十年くらいでジャンルの壁を越えて活躍する新人が増え、群雄割拠の時代になった。今の日本の書き手は中国に全然負けていない。『三体』のヒットをチャンスと捉えてほしい」
 自身も約四十年にわたり翻訳、書評、アンソロジーを手掛け、SFの発展に力を注いできた。「見たことがないものを見せてくれ、考えてこなかった可能性に気付かせてくれるのがSFの魅力。多様化した現代SFを今後も紹介し、壁を壊していきたい」と力を込めた。 (樋口薫)

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