<社説>夫婦別姓認めず 足踏みはいつまで続く

2021年6月25日 07時15分
 選択的夫婦別姓制を認めない現行の民法規定を最高裁大法廷は「合憲」とした。二〇一五年に続き二度目だ。司法が現状を追認し、国会に判断を委ねるばかりでは、一向に前進は望めはしない。
 「社会や国民意識の変化を踏まえても、一五年判決を変更すべきとは認められない」と最高裁は述べた。選択的夫婦別姓の制度は「国会で論じられ、判断されるべきだ」とも。つまり前回判断をそのまま踏襲し進化していない。
 そもそも一五年判決には疑問が出ていた。例えば憲法と立法府の裁量との重みである。憲法一四条は性別による差別を禁ずる。二四条は、家族に関し「両性の本質的平等」に基づくと規定する。
 最高裁は国会による立法裁量ばかりに重きを置いて、問題の核心が人権そのものにあることを直視していないようだ。憲法が保障する権利を、立法裁量の下に置くかのごとき発想はおかしい。
 反対意見の裁判官が、同姓でないと婚姻を法的に認めないのは「憲法の趣旨に反する不当な国家の介入」としたのが、それだ。
 また夫婦同姓が社会に定着しているというが、民法により強制されていると考えるべきだ。結婚したら事実上、女性が男性の姓に変更する制度であり、「夫婦どちらかの姓への選択制だ」というのは、あまりに表面的すぎる。
 「女性側が不利益を受けることが多いとしても、通称(旧姓)使用の広がりで緩和される」という、とらえ方にも疑問があった。
 確かに女性の旧姓使用は社会で普及している。だが、この事実は現状を追認する材料ではなくて、「だからこそ選択的夫婦別姓の制度が必要だ」という考え方に用いられる方が自然である。
 もはや現実は「両性の本質的平等」に反していないか−、そんな検討に最高裁が深く立ち入り、考えを述べるべきだった。十五人の判事のうち四人は「違憲」だったものの、論点を必ずしも深められなかったのは残念だ。
 国際的にも夫婦同姓制は、先進国では日本以外にはない。むしろ明治の「家制度」の発想から早く脱すべきときである。
 いつまで足踏みを続けるのか。まさか伝統的家族観を重んじる議員らへの遠慮はあるまいが、時代に逆行するかのような判断を続けていると、司法と国民との距離は広がってしまう。

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