曲亭の家 西條奈加著 

2021年6月27日 07時00分

◆小さな幸せ 暮らしの糧に
[評]細谷正充(文芸評論家)

 西條奈加の、直木賞受賞後第一作が刊行された。曲亭(滝沢)馬琴の息子に嫁いだ、お路(みち)の人生を描いた歴史長編である。
 『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴の息子で、医者の宗伯(そうはく)の妻になったお路。しかし嫁いだ滝沢家は問題だらけだった。人嫌いの小心者のくせに、傲岸(ごうがん)不遜で何事にも我意を通す馬琴。感情的で、のぼせやすい馬琴の妻のお百。父親を尊敬しすぎてコンプレックスの塊になり、何かスイッチが入ると暴力的になる宗伯。しかも彼は医者にもかかわらず病弱で、すぐに寝付いてしまう。些細(ささい)な話が大事になり、すぐに誰かが騒ぎ出す。そんな家に嫁いでしまったお路は、滝沢家の人々を冷ややかに見ながら、日々を過ごしていくのだった。
 滝沢家を現代風にいえば、機能不全家族となるだろう。女中も居つかず、お路がいなければ、すぐに崩壊しそうだ。とはいえ彼女も完璧ではない。俗物の一面を持ち、嫁いですぐに実家に戻ってしまう。お路の日常は悲惨といえば悲惨だが、それに負けない強さがあるのだ。だから読んでいて、暗い気持ちになることはない。
 そして嫁ぎ先の生活の中でお路は、ぶつかり続けてきた滝沢家の人たちも、ごく当たり前の人間として受け入れ、小さな幸せを暮らしの糧とするようになる。また、人々が物語を求める理由を、精神の良薬となり、水や米、炭に匹敵するほどの生きる力を与えると理解するようになるが、これも小さな幸せと通じ合うものといっていい。
 さらに後半、盲目になった馬琴に頼まれたお路が、苦心惨憺(さんたん)しながら『南総里見八犬伝』の口述筆記をする場面は感動的だ。お路の視点による女性ならではの作品批判も、なるほどと思わせるものがあり、近世文学に興味のある人も楽しく読めるだろう。
 新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)により、日本は混乱に陥った。日常生活が大きく変わり、疲弊している人も多いだろう。こんなときだから、小さな幸せを暮らしの糧にしたい。本書を読んで、そんなふうに感じたのである。
(角川春樹事務所・1760円)
1964年生まれ。作家。2005年『金春屋ゴメス』でデビュー。今年『心淋(うらさび)し川』で直木賞。

◆もう1冊 

山田風太郎著『八犬伝』(上)(下)(河出文庫)。馬琴と代表作の世界が交錯する伝奇ロマン。

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