尊皇攘夷 水戸学の四百年 片山杜秀(もりひで)著

2021年6月27日 07時00分

◆「美しい理想」へ先鋭化
[評]長山靖生(文芸評論家)

 三島由紀夫は子供の頃、祖母に「お前は水戸の血が流れているから、人にすぐ皮肉屋だとか偏屈だとかいわれるだろうが、気にしないほうがいいよ。これはもう宿命で仕方がない」と言われたという。
 血統はさておき、たしかに水戸学は屈折している。過激な背伸びがある。それが幕末には「尊王攘夷運動」の指導理論となって維新をもたらし、近代日本の国家観形成にも大きな影響を与えた。本書は「水戸学的愛国心」という難しい問題を、膨大な情報を巧みに整理しつつ分かりやすく、ドラマチックに解き明かす。
 水戸学は江戸前期の水戸藩主徳川光圀(みつくに)が、明国からの亡命学者・朱舜水(しゅしゅんすい)を招いたところに始まる儒学の一派だ。このふたりはそれぞれ苦悩を抱えていた。光圀は兄を差し置いて世継ぎになったことに負い目を感じ、舜水には祖国亡失の鬱屈(うっくつ)があった。両者は自身の指針を儒学道徳に求めたが、さらに日本は神代から変わらぬ皇室を頂いている点に着目、その事実のなかに道徳的絶対を見ようとし、『太平記』が描く南朝忠臣に自分たちの理想を見いだす……。
 そんなロマンチックな学問を培う一方、水戸藩は慢性的な財政難を抱えていた。徳川御三家ながら尾張・紀伊に比べて石高が少なく、藩主が常に江戸にいるという特殊な体制のために出費も多い。その困窮が深刻になるにつれ「ぼろは着てても心は錦」のやせ我慢は、「苦境に陥るのは正しい証拠」と思い込むレベルにまで達した。
 太平洋に面する水戸藩沖合では、江戸後期にはしばしば異国の捕鯨船が出没、水戸学者らはこれを侵略の兆しと警戒、ペリー来航後は妥協的常識論に傾く幕府に苛立(いらだ)ってますます原理主義的に先鋭化していく。過激化した一部は桜田門外の変などの騒乱を起こし、さらには具体的政治ビジョンを持たない武装巡礼団のような天狗(てんぐ)党の迷走を招く。
 美しい理想が地獄のような現実をもたらすさまに慄然(りつぜん)としながらも、「気持ちは分かる」と思ってしまうのは、私にも水戸の血が流れているからだろうか。
(新潮選書・2200円)
1963年生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。著書『未完のファシズム』など。

◆もう1冊 

長崎浩著『幕末未完の革命 水戸藩の叛乱と内戦』(作品社)

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