岸谷 香《東京 MY STORY》第2回「中央区明石町」聖路加国際病院(前編)ー母になった日

2021年7月14日 09時55分

生まれてすぐに東京にやってきて以来、嬉しい時も辛い時もこの街で過ごしてきたというミュージシャンの岸谷 香さん。さまざまな時代の、きらめくような東京の街模様を、自らの体験や大切な思い出を振り返りながら書き綴る、連載エッセーです。


第2回「中央区明石町」聖路加国際病院(前編)ー母になった日


 自粛、自粛と家で大人しくしていたら…もう7月!! 7月は私にとって想いの深い月です。
20年前の7月7日、私は母になりました。思い返せば、それはそれは沢山の出来事はありましたが、やはり、あっという間の20年間でした。あの日、聖路加国際病院の窓から見渡した真青な夏空を今でも鮮明に覚えています。本当に美しい、ギラギラとした青空でした。    
臨月に入った頃、ぼんやりテレビを見ていたら、お昼のワイドショーで何の話題だったかは全く覚えていませんが、突然、自分の名前が聞こえてきました。「奥居香さんが〜…」と。 どなたかが発した私の名前を聞いて、「あー、お腹の子が少し大きくなったら、お母さんは岸谷香なの?奥居香なの?と混乱するだろうな…」と思い、その場で当時のマネージャーに電話をかけ、「ね、そう言えば私、もう奥居香じゃなくて岸谷香だよ、名前変えなきゃね」と伝えました。本当に単純に、普段は岸谷香なのになんで仕事の時は奥居香なの?って、子供が不思議に思うだろう…ただそれだけの理由でした。後々、プリンセス プリンセス再結成の時には、“名前を変えた”という事実が相当衝撃的だったようで、どこへ行っても「働く女性にとって名前を変えることは大きな決断でしたよね」とか言われ、前記のように大した理由もなく変えてしまったので、ホント困ったというか、大した理由じゃなくて申し訳ない気持ちにさえなった程でした。さすがに離婚したらどーするんですか!?とまでは聞かれませんでしたが、きっと「そこまで考えていませんでした。」と答えてたんだろうな〜(笑)ま、妊婦の頃からもう、自分の事より子供がどうか…を考えていたって事ですネ。既に母親だったんだなぁと思います。
 そんな私が長男、長女と出産し、毎日をひたすらに一生懸命に過ごしていたある日、夫に質問されました。「結婚する時に1つずつ、コレだけはお願いっていう事を発表し合ったの覚えてる?」と。確かにした!した!しましたね…、夫にお願いされた事は覚えていました。一応プライバシーを尊重して、ここでは発表するのは控えておきますが。で、自分は夫に何をお願いしたんだっけ?? どんなに考えても思い出せませんでした。そこで夫に聞いてビックリ!! 「例え、子供ができて母になっても、 何があっても私から音楽だけは取り上げないで下さい!!」と言ったそうで…。そんな私が約10年もの間、ほぼ専業お母さんをやっていたなんて、夫にしてみればさぞかし『!?』だった事だろうと思います。でも本当に、そんな事を「これだけは!!!」と一番のお願いにしていた私が、ガマンした訳でもなく、ただただ夢中で子育てをし、心はすっかり音楽を忘れてほぼ10年もの長い時を過ごしていたなんて、母親ってやっぱりスゴイ仕事なんだなぁ…改めて思います。
 聖路加国際病院での、人生初の出産は、予想を遥かに上回る難行でした。途中、思うように陣痛が進まず、お風呂に何度も入らされたり、 鉄棒によく似たぶら下がり健康器みたいな器具にぶら下がったり、浮力や重力のチカラを借りながら必死に我が子との対面を待ちました。付き添ってくれていた母が、気付くと「ちょっとご飯食べてくるね」と言い、私は心の中で「またか!?」と叫んでいました(笑)。まぁ24時間以上陣痛と格闘していたので、そりゃ何回もご飯食べてあたり前だと今では思いますが、当時は「ご飯ばっかり食べてる(怒)」って思ってました(笑)。そんな母を横目に私はというと、陣痛の間食べたものはハーゲンダッツのアイスクリーム3つのみ。病院の売店に、ハーゲンダッツのカップのアイスクリームが売っていたので、食事に出た母に、帰りに買ってきてもらいました。味は「チェリーバニラ」。今ではもう全く見かけなくなりましたが、アメリカンチェリーのフレーバーで本当に美味しかった!! 正にお産の味!!死ぬまでにどうかもう一度ハーゲンダッツのチェリーバニラを食べられますように…と時々思ったりします(笑)。
 実はご飯ばっかり食べていた私の母ですが、その頃、肺にガンが見つかり、治療を始めるところでした。後から聞いた話ですが、主治医と治療計画を立てていた母は、娘のお産があるんで、最初の子なんで…と、私のお産まで待ってくれるよう懇願し、孫が誕生した翌日に、自身のガンの治療のために入院しました。当時はまだ母親になりたての初心者マーク付きだった私は、「なんで1日も早く入院して治療しなかったの!? 1日でも2日でもガンが進行しちゃうじゃん…」と思いましたが、今なら母の気持ちはよくわかります。私も同じ立場なら主治医にきっと同じ事を言うと思います。自分の事はそんな風には思えませんが自分の母を想うと母親ってスゴイ生き物だなぁと実感しますよね。
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次回更新は、7月28日(水)更新予定です。
お楽しみに。





PROFILE
岸谷 香
1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。
1996年結婚。翌年、奥居香ソロとしてシングル「ハッピーマン」を発売し、ソロ活動をスタート。
2001年子供を授かったことをきっかけに岸谷香に改名。その後13年間は育児を中心とする生活が続いた。2012年、東日本大震災復興支援の為、16年振りにプリンセス プリンセスを一年限定で再結成。
2014年より、ソロ活動を本格的にスタートさせ、数々のライブ活動を実施。
ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、ミニアルバム「Unlock the girls」をリリースしたり、豊洲PITにて、東日本大震災復興支援ライブを行ったりもした。
2021年2月にはミニアルバム「Unlock the girls3-STAY BLUE」を発売。
2021年7月からは「KAORI PARADISE 2021」ひとり弾き語りツアーを予定している。
お知らせ
レギュラー
・ラジオNHK-FM「岸谷香Unlock the heart」
毎週金曜23:00〜スタート
・ニッポン放送「オールナイトニッポンMUSIC10」
毎月第四水曜日22:00~スタート

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