「負くっか」 悩んで笑って闘った大島康徳さん

2021年7月5日 18時58分

大島康徳さん

 子どもの頃はバレーボール選手として五輪に出ることが夢だった。6月30日に亡くなった大島康徳さんは生前、「金メダルを取って、その後は学校の先生になりたかった。全く違う人生になったけど、今振り返ると、僕の人生は悪くなかったなと思うんですよ」と話していた。
 連載「この道」の打ち合わせで何度も話を伺った。熱血漢で明るい印象が強いが、「実はすごい心配性。本塁打を打っても、翌日の打席が心配で喜べないタイプ。でも、弱音は吐きたくないから、自分を強く明るく見せていたんだ」と打ち明けてくれた。
 意外にも、代名詞の「一発長打の大島くん」は好きではなかったという。一発屋より、3番や4番打者として認められたかったのだそうだ。「それでも、あの愛称があったから、『負くっか!』と頑張れたのかも。今では感謝してますよ」
 「負くっか」とは大島さんの故郷・大分の言葉で「負けてたまるか」の意味。口癖のように使ったこの方言は、引退後の人生でもキーワードとなった。
 2016年に「大腸がんのステージ4で余命1年」と宣告された。「がんに負くっか」。手術後は肝臓などの転移と闘った。
 闘病をつづる自身のブログに誹謗(ひぼう)中傷を受けても、「健康は善で病気は悪だと決め付ける人がいるが、それは違う。闘病もそう。病気を克服した人はヒーローで負けた人はかわいそうな人ですか?僕はそうは思わない」。毅然(きぜん)とした態度で命と向き合い続けた。
 家族を愛し、詩人で書家の相田みつをさんの詩を愛するロマンチストでもあった。好きだった詩は「しあわせはいつも自分のこころがきめる」。
 「いつか自分にも寿命が来ます。そのときに僕はがんに負けたとか、力尽きたとか絶対に思わない。精いっぱいやった、自分らしく生きたと感じると思うんです」。深刻な話をするときほど大島さんは明るく笑った。悩んで笑って闘った。心のままに生き抜いた人生だった。(谷野哲郎)

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