いつかたどりつく空の下 八幡橙(やはた・とう)著

2021年7月11日 07時00分

◆死に触れて生の意味問う
[評]青木千恵(書評家)

 光と闇、生と死、此岸(しがん)と彼岸。相反するものとされながら、いずれもとらえどころがない。生きて死ぬ、誰もがたどる道にはなんらかの道標があるのか。本書は、「生と死」を問う長編小説である。
 三十代半ばの主人公、睦綾乃(むつあやの)は、小学四年生の夏に祖父を亡くし、すべてから解放される場所へ自分も早く行きたいと強く思った。綾乃は父親を知らず、母親は家を出ていった。祖父の貯金で高校を出て職を転々とし、三十歳で失業して死に切れず、また自死を図る時までのつなぎとして葬儀社「せせらぎ典礼」に入社して、六年になる。
 湯灌(ゆかん)・納棺師として働く綾乃の、約一年を描いた物語だ。老衰死、若者の自死、病死した男児……と、亡くなった人の遺体を整えて納棺し、葬送に立ち会う葬儀社の現場が冒頭から描かれる。孤独死などで死後何日もたって発見された場合は、遺体を復元する特殊技能を要し、職歴三十年のベテラン、川瀬民代とコンビを組む綾乃が技術を受け継ぎつつある。悲しむ遺族に感情移入することもなく仕事をこなす綾乃は、いつか世界から消えるつもりで、今生きている他人にも自分にも興味がなかった。それがある時を分岐点にして、光が差す。綾乃自身が反芻(はんすう)しているが、ある時とは不意に、偶然によって訪れた出来事だった。
 社交辞令が苦手で、「ヨコヨコタテヨコ」と陰口をたたかれるほど無表情な綾乃。物語は孤独な彼女の目に映ることのみで構成され、娯楽小説とは言い難い設定なのに、引き込まれる。光と闇、生と死といった相反する要素や、人々のやりとり、小さな素材が有機的につながり合い、綾乃の内面の変化が丁寧に描かれていて、変化のスケールが大きいからだ。人好きのする民代、横暴な松原ら、同僚たちも個性豊かである。
 <仏さんは、モノじゃないんだよ。ついさっきまで息をして、確かにこの世に生きていた、私たちと同じ『人間』なんだよ>。今生きているのはどんな世界なのか。ある女性の視点から問いかける、優れた長編小説だ。
(双葉社・1980円)
1967年生まれ。作家。2019年、『ランドルトの環』でデビュー。

◆もう1冊

加藤千恵著『この場所であなたの名前を呼んだ』(講談社)。命の重さが実感される「NICU(新生児集中治療室)」を舞台にした7人の物語。

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