高輪築堤 進む解体 石垣しばし間近に

2021年7月11日 07時02分

「高輪築堤」の出土現場で、石垣を解体し調べる作業員ら=港区で、本社ヘリ「あさづる」から(6月8日撮影)

 明治初期、国内初の鉄道の一部として東京湾の浅瀬に造られた「高輪築堤(ちくてい)」の解体を伴う発掘調査が5月中旬に始まり、50日余りが経過した。築堤側面の石垣は少しずつ外され、遺構が徐々に変貌する一方、築堤を間近で見られるポイントも出現している。
 約八百メートルにわたり出土した石垣のうち「第七橋梁(きょうりょう)」など現地保存される計百二十メートルは土で覆われた。今後の調査や再開発の作業エリアとして活用した後に再び掘り出し、一般公開される。調査する港区教育委員会は「いったん埋め戻すことで、公開までより良い状態で保存できる」という。

現地保存される第七橋梁周辺は一時的に埋められた=港区で、本社ヘリ「あさづる」から

 他の遺構は調査と並行して解体。石垣の石には一つ一つ番号が付された。上空から見ると、外された石が多数並んでいた。港区教委によれば、駅で売られたお茶の陶器「汽車土瓶(きしゃどびん)」も築堤脇の埋め立て土から出土。飲み終わって窓から投げ捨てられたらしい。
 解体される部分のうち、国内最古の信号機跡を含む三十メートルは再開発地区西側に移設され、他は姿を消す。だがしばらくの間は、再整備が進む通称「おばけトンネル」の迂回(うかい)路から、一部の遺構を間近に見られる。
 再開発地区の下を横断するおばけトンネルは天井高一・七メートルの薄暗い通路だった。すぐ隣では今、天井が高く、一部が地上化した新しい通路が作られている。この工事のために五月以降に設けられた迂回路が、ちょうど築堤上を横断する。
 高輪ゲートウェイ駅から国道15号に出て、右に曲がると「→オバケトンネルこちら」の表示=写真=がある。その通りに進むと迂回路があり、両脇に張られたシートの隙間から石垣が。石垣脇に水がたまっている時もあり、海の上を列車が走った明治期も、こんな情景だったかもしれない。この石垣も近く、解体される。

おばけトンネルの迂回路から見える石垣。水が張っている時もある

◆保存か再開発か…

 「より広く現地保存を」と主張する専門家の意見に「事業が進んでおり、それは難しい」と渋るJR東日本−。JR東が昨年9月に設置した「高輪築堤調査・保存等検討委員会」の議事録からは、JR東がもともと遺構保存に消極的だった姿勢が浮かんでくる。
 「今後、同種のものが発見される可能性がなく、きわめて希少性が高い。第七橋梁と、それにつながる計80メートルは現地保存すべきだ」
 専門家は昨年11月の第2回委員会で、現地保存案を提示。だがJR東や、再開発に加わる都市再生機構(UR)は「下水道整備などで橋の一部を壊す必要がある」と否定的だった。
 流れが変わったのは今年3月3日の第4回委員会。2月に現地視察した萩生田光一文部科学相が、保存に向けた国の支援を示唆した後のことだ。複数の関係者が「官邸や文化庁が保存に向けて急に動きだした」と口をそろえる。この日の委員会は「非常に流動的な状況となった」(委員長の谷川章雄早稲田大教授)と議論をいったん保留とした。

◆国の方針が転機に

 3月31日の第5回委員会には、文化庁の担当者が初めて出席。JR東は一部のビルの建設場所をずらし、第七橋梁など計120メートルを現地保存すると表明した。国が、保存費用の分担や、開発計画の変更手続きの迅速化に協力する方針を示したためだった。
 遅れて出土した国内最古の信号機跡を含む石垣約380メートルの扱いは議論が続いた。専門家は「可能な限りの長さで現地保存を」と主張。JR東は「開発に支障がある」と信号機跡を含む30メートルのみ移築保存すると譲らず、4月19日の第7回委員会で専門家が「開発計画の時間的な制約から、やむなしとせざるを得ない」と移築を受け入れた。
 議事録はJR東のウェブサイトで閲覧できる。
文・梅野光春/写真・戸田泰雅、伊藤遼、梅野光春
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