仏教僧、太田覚眠が見た20世紀初めのロシア 民衆のレーニンへの熱狂を「レーニン宗」と新聞に寄稿 スターリンとも面談

2021年7月12日 17時00分
 日露戦争や社会主義革命が続いた20世紀初め、ロシア極東で布教に取り組んだ三重県四日市市の仏教僧、太田覚眠かくみんが注目を浴びている。ソ連の独裁者スターリンに会った印象を名古屋新聞(中日新聞の前身の1つ)に寄稿するなど、ジャーナリズムでの活躍が顕著だ。ソ連誕生という世界史の大事件は、異能の宗教家の目にどう映ったのか。(ウラジオストクで、小柳悠志)

太田覚眠=1931年撮影、中日新聞社所蔵

 日本で浦潮うらじおと呼ばれたロシア極東の港町ウラジオストク。旧日本人街で近代的な商業施設から路地に入ると、一転して古い民家が並ぶ。はためく洗濯物が下町情緒を漂わせている。
 「かつて、この建物の正面に菊の御紋が飾られていた」とロシア極東連邦大学のゾーヤ・モルグン教授が指さした。ここには浄土真宗本願寺派の布教所(後の浦潮本願寺)と浦潮日本人小学校が入居していたという。

 覚眠がウラジオストクに渡った1900年代初め、浦潮小学校で校長をしていたのが与良松三郎。後に名古屋新聞の社長となる教育者兼ロシア語通訳だ。覚眠は与良とともにロシア分析にいそしみ、名古屋新聞で数多くの記事を発表することになった。
 約30年にわたるロシア滞在で覚眠が気づいたのが、権力の一極集中を生むロシア民衆の精神的な土壌だ。
 ロシア革命後のレーニンに対する民衆の熱狂的な支持を「レーニン宗」と呼び、名古屋新聞でも「国民はレーニンを神様同然に見て、レーニンの一言一行が聖書のごとく尊ばれている」と解説した。宗教を否定する社会主義で、逆に指導者の神格化が進む矛盾を早くから見抜いていた。
 モルグン教授は「社会主義を宗教と捉える視点も、ロシア人が強い指導者を求める傾向に着目する点も、的を射ている」と語る。

太田覚眠が発表したロシア分析の記事=1932年1月6日付名古屋新聞(小柳悠志撮影)

 覚眠はモスクワでスターリンと会った時の印象も名古屋新聞に寄せている。秘書にねじ込み、スターリンと数分の面談を許された際、覚眠が「この国がレーニン、カリーニン(ソ連初期の革命家)、スターリンと3代続けて統領が『イン』と韻を踏んでいる」と語ると、スターリンは喜色満面となり「あなたの名前カクミンも『イン』で終わる」と冗談で応じたという。
 この逸話は元愛知産業大非常勤講師の松本郁子さん(41)が京都大大学院在籍中、中日新聞社に保管されていた新聞から発見。日ロで脚光を浴びるようになり、一昨年にはロシア紙「極東ベドモスチ」でも紹介された。
 覚眠はロシア報道の先駆け的な存在。民衆の声を集めつつ、クレムリン(指導部)の序列を観測する手法は現在でも多くのメディアが踏襲している。
 覚眠は人道主義者としても知られる。日露戦争の勃発後、内陸で置き去りになった貧困層の邦人を救おうと現地に赴き、欧州経由で数百人を脱出させることに成功した。日本軍の従軍布教も行った。
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浦潮小学校と浄土真宗本願寺派の布教所があった建物の前で説明するモルグン教授

ロシア中央軍事博物館に展示されているソ連指導部の宣伝画。手前がレーニン、その背後がスターリン

ウラジオストク駅を見下ろすレーニン像

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