【詳報】池袋暴走事故 飯塚被告「踏み間違えた記憶は全くございません」無罪主張 検察は禁錮7年求刑

2021年7月15日 18時12分

飯塚幸三被告

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女莉子(りこ)ちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判は15日、東京地裁で検察側の求刑や弁護側の最終弁論があった。自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告(90)は「車のシステムに何らかの異常が発生した」と無罪を主張しているが、検察側はどんな求刑を行い、飯塚被告は最後に何を語ったのか。裁判の様子を速報する。

池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

◆13:25 飯塚被告、入廷し一礼

 飯塚幸三被告は車いすで入廷し、裁判官に向かって頭を下げた。検察側の席に座った遺族の松永拓也さん(34)は目を伏せ、その後、しばらく目を閉じた。飯塚被告の入廷が終わると、裁判長の判断で予定より数分早く開廷した。

◆13:30 真菜さんの父上原さん「どれほど大きな存在だったか」

 遺族らの心情の意見陳述が始まった。最初に松永真菜さんの父で沖縄県在住の上原義教さん(63)が証言台に立ち、事前に用意した紙を手に「私は松永真菜の父です」と読み始めた。声は少し震える場面もあったが、静かな口調で読み進めた。
 上原さんは「大事な2人をまさか事故で失うなんて」と述べ、「どれほど大きな存在だったか述べたい」と真菜さん、莉子ちゃんの生前の様子を語り始めた。

紅葉狩りを楽しむ松永さん家族(松永拓也さん提供)

 真菜さんは5人姉弟の三女で、上原さん夫妻と7人家族。恥ずかしがり屋で、初対面の人の前では母親の後ろに隠れてしまったという。10代のころから家庭のことを手伝い、年下の四女や長男の面倒をよくみていて「家族思いの子でした」。家計を考えてか、専門学校を卒業後に歯科衛生士として勤務。「控えめで、人を悪く言うことはなく、友だちが多かった」という。上原さんは「私は真菜を悪く言う人をみたことはありません」と語った。

◆かき氷、楽しみにしてたのに…

 真菜さんが21歳だった2009年5月、25歳だった上原さんの次女が白血病で亡くなり、上原さんは「想像を絶するつらさ」を味わった。その後、真菜さんの結婚については「そばにいてほしかった。本土は遠いというイメージでした」として当初は反対する気持ちだったことも明かした。しかし、松永拓也さんと会い「優しい人だとよく分かりました」と賛成したという。
 莉子ちゃんの誕生後、上原さんの妻が、くも膜下出血で急に亡くなった。上原さんを心配した真菜さんはスマートフォンを上原さんに渡した。上原さんは「おかげで毎日のように莉子とテレビ電話をし、成長を見ることができました。莉子は私にもよく懐いてくれ、『じいじ』と呼んでくれました」と振り返った。事故直前、真菜さんには家族で沖縄に移住する計画があり、パティシエをしている上原さんの四女とカフェを営むことを夢見ていたという。
 最後に2人と話したのは、事故の数日前。テレビ電話でだった。5月に実家の沖縄に2人で来る予定で、莉子ちゃんは、セパレート式の水着を画面越しに見せてくれた。「かき氷を食べたい。かき氷器ある?」と尋ねられた上原さんは、しばらく使ってなかったかき氷器を引っ張りだし、莉子ちゃんに見せた。
 「とても楽しみにしていました。話をしたのはそれが最後になりました」

◆私自身がおかしくなったようで

 事故当日、松永さんから午後4時ごろに電話を受け、すぐに上京の準備をした。その最中に亡くなったことが再び電話で伝えられた。「直接確認するまでとても信じられない」。その日のうちに東京に行ったが、2人に会えたのは翌日だった。「遺体を見られませんでした。私自身がおかしくなったようで、夢を見ているような感覚になりました」
 松永さんと2人で泣きながら「痛かったね」「ごめんね、じいじが代わってあげられなくて」と語りかけながら一夜を明かしたという。
 上原さんは事故後、東京での署名活動のために上京した。まだ、気持ちの整理がついていなかったが、「ちょっとでも手伝えたら」と参加した。東京は怖い場所だと思っていたが、多くの人が署名し、2人のことで泣いたり、語り合っている姿をみて、「こんなにも思ってくれる人がいて、真菜もそんなに悪いところに住んでいたわけじゃないんだ」と思えたという。
 その後、地元の沖縄でも署名活動を行った。飯塚被告はうつむいたまま聞いていた。

◆「いったい誰が裁かれているのか」

 裁判が始まり、上原さんは裁判のたびに上京した。でも気持ちは晴れない。「誰が悪いのか分かっているのに。加害者に寄り添ってるように見えました」と当時の心境を打ち明け、「いったい誰が裁かれているのか。私たちが裁かれているような気がしました」と振り返った。
 上原さんは自動車整備士をしていたことがあるといい、「車のことがわかるだけにより腹立たしい」と思った。被告人質問の後に、飯塚被告に対して「あの人に何を言ってもだめなのか」「私たちのことをこれっぽっちも考えてくれない。車のせいにしている」と感じた。
 「事故後、真菜の顔の傷をみて、本当に苦しかったです。あんな2人を見たのに、まだ信じられません。また戻ってきそうな気がしてならない」と涙ぐんだ。
 「毎日のように電話していたのに、突然亡くなったことを今でも受け入れることができません。玄関を開けると、真菜の声が聞こえてきたような気がすることがあります。神様がいるなら、こんなことがあるのでしょうか。真菜と莉子を返してほしい」。娘たちとカフェを開く人生計画は白紙になり、「遺族としても夢を奪われた」と訴えた。

◆「あなたも人の子なら…」

 上原さんは「飯塚さん、あなたも人の子なら車のせいにせず、罪に向き合っていただきたい」と望んだ。「刑務所に入ってほしいです。反省するために。真菜と莉子は帰ってきません。せめて反省していただきたい」述べ、終えた。
 飯塚被告は視線を落としたまま。上原さんは席に戻ると、ハンカチを顔に当て、涙をぬぐった。
▶次ページ 真菜さんの姉の意見陳述
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