【全文】松永拓也さんの意見陳述 真菜さん莉子ちゃんとの幸せと、飯塚被告への憤り

2021年7月15日 18時31分
 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜まなさん=当時(31)=と長女莉子りこちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判が15日あり、遺族の松永拓也さん(34)らが2人との幸せな思い出や、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告(90)に対する思いを述べた。
 意見陳述の準備で思い出す2人との幸せな時間と、1人でパソコンに向かって原稿を書く現実とのギャップに苦しんできた松永さん。公判後の会見で、パソコンで原稿を用意した日々を「1行書いては涙が止まらなくなって、また閉じてを毎日繰り返した」と振り返りつつ、「向き合う時間はつらかったけれども、やれてよかったなと思っています」と述べた。
 公判では検察側が飯塚被告に禁錮7年を求刑し、弁護側は無罪を求めた。
 ◆松永拓也さんの心情の意見陳述全文は次の通り。

夏祭りを楽しむ松永真菜さん(左)と莉子ちゃん(松永拓也さん提供)

はじめに
 私は、松永真菜の夫であり、松永莉子の父でもある松永拓也です。あの事故により、突然一人残されてしまいました。本日は、命を奪われた妻と娘がどんな人だったか、私にとってどれほど大切な存在だったのか。どれほど愛し、幸せだったのかについてお伝えします。
 本来は、いくら時間を頂いても、どれだけ言葉を重ねても足りません。ですが、懸命に生きて輝いていた31歳の女性と、たった3年しか生きられなかった女の子のことを、どうか知っていただきたいです。そして、どん底に突き落とされた遺族の悲しみや葛藤と、被告人が無罪を主張することに対する苦悩をお伝えします。そして、飯塚幸三被告人に対し、法律で与えられる範囲で最大の刑罰を与えていただきたく、意見を述べます。
妻 松永真菜について
 妻である松永真菜のことは、いつも「真菜」と呼んでいましたので、この場でも「真菜」と呼びます。
 真菜とは、平成25年、沖縄の母方の親族の集まりで出会いました。私が27歳、真菜が26歳でした。二人で夕食を共にすることになり、待ち合わせで出会った瞬間に、とても美しい人だと思い、私は一目惚れしました。真菜は寡黙な性格でしたが、食事中ずっと私の話を笑顔で聞いてくれました。
 温かく穏やかな真菜の人柄に惹かれ、東京に帰ってからも毎日電話をし、月に2〜3回は東京から沖縄に会いに行きました。様々な観光地や島巡りをし、これ以上無い程に楽しい日々でした。今でも色褪せない大事な思い出です。真菜は人の悪口や愚痴を決して言わない人でした。出会った日から亡くなる日まで、たった一度も聞いたことがありません。私はそんな彼女を、心の底から尊敬していました。
 真菜に交際を申し込みましたが、二度断られました。後で知ったのですが、真菜はお姉さんを白血病で亡くしており、ご家族のことを想うと、どうしても沖縄を離れる決断が出来なかったそうです。
 その年の11月4日、これで駄目だったら諦めようと心に決め、3度目の交際を申込みました。真菜は、「今日は何日か知っている?11月4日だよ。『いいよ』の日だよ。」と照れくさそうに言い、交際を受け入れてくれました。言葉で言い表せないほど嬉しかったです。

松永真菜さんの婚約指輪(手前)と結婚指輪

 その後も遠距離で交際を続け、平成26年5月にプロポーズしました。「頼りない男だけど、あなたを幸せにしたい気持ちは誰にも負けません」。そう伝えると、真菜は「嬉しい」と言い、泣き出しました。その様子を見て、彼女を幸せにしようと心に誓いました。(※記事末尾に関連記事・プロポーズの様子)
 結婚の許可を頂くために真菜のご両親の元へお伺いすると、快く受け入れてくださり、本当の家族のように接してくれました。しかし、遠く離れた東京へ娘を送り出すという苦悩があったと思います。私は、真菜のご家族に心から感謝しました。
 翌年11月4日に籍を入れると、真菜と千葉で生活を始めました。仕事から帰ると、真菜が「おかえり」と言って出迎えてくれる。遠距離が当たり前だった私達にとって、この日常は本当に幸せでした。
 私は腎臓が弱かったのですが、彼女は「私が治してあげる」と宣言し、腎臓にいい料理を調べて実践してくれました。そのおかげで私は目に見えて元気になりました。それ以外にも、私は彼女の人間性、他者に対する愛の深さから多くを学び、精神面でも成長させられました。彼女が遺してくれたものは、今もなお私の中で生き続けています。
娘 松永莉子について
 平成27年のとある日。私が仕事から帰ると真菜が飛びついてきて、子供を授かったことを伝えられました。歓喜の声を上げながらリビングで小躍りをし、喜びあったことをよく覚えています。
 少しずつ大きくなる真菜のお腹に、毎日一緒に話しかけました。真菜はお腹を愛おしそうに撫でながら、「ベビーちゃん、早く逢いたいね」と言い、心から幸せそうな顔をしていました。真菜は悪阻がひどく、一日中動けない日もありましたが、新しく生まれてきてくれる命に思いを馳せ、二人で協力しながら日々を過ごしました。
 翌年の1月11日、立ち会い出産を選択した私は、真菜と共に分娩室にいました。真菜はとても我慢強い人なので声一つ出しませんでしたが、痛みに耐えながら私の手を力いっぱい握り、私も握り返しながら「頑張れ、頑張れ」と声をかけ続けました。そして、莉子も頑張って生まれてきてくれました。3170グラムの小さな命を胸に抱き、真菜は「かわいい」と涙を流しました。次に私が莉子を抱きしめると、小さな手で私の指を握り返してくれました。その温もりを感じながら、命が生まれることはなんて神秘的なのだろうか。我が子というのは、なんて愛おしいものなのだろうか。そう感じ、私も涙を流しました。そして、命をかけて莉子を産んでくれた真菜に感謝しました。自分が父親になったことにまだ実感が沸かないものの、「この二人を守り、絶対に幸せにする」と心に誓いました。
 「莉子」という名前は、真菜と二人で考えました。香りのいい花を咲かせ、人々を癒やす、ジャスミンの花が由来です。花言葉は「愛らしさ」です。ジャスミンのように可憐で、人を癒し、人から愛される。そんな人になってほしいという願いを込めて、ジャスミンの日本語名である「茉莉花」から漢字を用い、莉子という名前に決めました。
 真菜に似た恥ずかしがり屋で、優しく、愛らしい女の子に成長しました。そして、とても賢い子でした。お友達とおもちゃの取り合いになっても、「貸して」と言われると「いいよ」と貸してあげる子でした。文字が読めないのに、家にある何十冊もの絵本を全て記憶して音読できました。真菜が体調を壊して寝込んだ時には枕元に行き、「お母さん大丈夫?莉子のこといっぱい抱っこしたから疲れちゃったの?」と本気で心配するような子でした。仕事から帰ると必ず莉子が玄関で待っていてくれて、「おかえりなさい」とお辞儀をしてくれるのが可愛くて、嬉しくて、幸せでした。身長92センチ、体重13キロにまで成長し、出来ることも増え、日々成長する喜びを感じていました。
▶「無事でいてくれマナりこ」
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