<首都残景>(26)花園神社 芸能の神に見守られて

2021年7月18日 06時57分

拝殿(左)に向かう参道沿いにある特設のテント小屋=いずれも新宿区の花園神社で

 昭和と呼ばれた頃、東京の町は今よりは若く、集まる人も大胆で、おっちょこちょいで、野心に満ちていたような気がする。当時の空気が懐かしくなったら、花園神社(新宿区)にお参りするのもひとつの手だ。
 あの頃から変わらないものが、当たり前のように今もある。
 七月。夕闇が包み始めた境内。特設テントに灯がともり、劇団「椿(つばき)組」の公演が始まった。出し物は「貫く閃光(せんこう)、彼方(かなた)へ」。舞台は一九六二(昭和三十七)年の熱海。東京五輪を前に新丹那トンネル(静岡県)を掘ったトンネル屋たちの物語だ。
 朗々と響く役者の声に、新宿の町の騒音が重なる。屋根を打つ雨や風の音も。ラストはテントの側面が抜け、町の雑踏とステージが一体になった。野外演劇ならではの演出だった。
 唐十郎座長に率いられた劇団「状況劇場」が初めて花園神社境内で公演を打ったのが一九六七(昭和四十二)年。「紅(あか)テント」と呼ばれて人気を呼び、いつしか花園神社はアングラ演劇の“聖地”となった。新型コロナ自粛二年目の今年も、唐組、新宿梁山泊(りょうざんぱく)、椿組と三つの劇団が屋外芝居を演じた。
 椿組の外波山文明(とばやまぶんめい)座長は「昨年は公演を中止しましたが、今年はあらゆる感染対策をほどこしての上演。それでも感染リスクがゼロではありませんが、芝居の灯を消すわけにはいかないという判断です」と話した。

藤圭子さんのヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がある芸能浅間神社には、夢を追う多くの若者が訪れる

 境内には末社として演芸の神を祭る芸能浅間神社があり、数々の芸能人が訪れることでも知られている。八代亜紀さんが一九八〇年に「雨の慕情」のヒット祈願をし、この年のレコード大賞を受賞したのは、いまや伝説だ。また藤圭子さんが歌った「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑もここにある。雨の中で手を合わせていた女性は「いつか声優になりたくて」と夢を語った。
 花園神社は江戸時代の宿場・内藤新宿の総鎮守で、約三百八十年前に現在地に移ったとされる。日本一の繁華街・歌舞伎町、バーが並ぶゴールデン街に隣接し、芸能の殿堂「新宿コマ劇場」が近かったことから芸能関係者との縁が生まれたという。

テント小屋で繰り広げられる劇団「椿組」の芝居

 片山裕司宮司(47)は「もともと人を呼ぶ力を持った土地であったのでしょう。この先もずっと人の心のよりどころであらねばならない。今のままの花園神社を守ります」と約束した。
 文・坂本充孝/写真・木口慎子
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