山下清とは何者だったのか

2021年7月19日 11時32分
 山下清が亡くなって五十年。「放浪の画家」と称された創作活動は生前から注目を集め、彼がモデルの映画、テレビドラマや伝記は今も根強い人気がある。「裸の大将」の実像に迫った。

<山下清(やました・きよし)> 1922〜71年。東京・浅草生まれ。知的障害児教育施設「八幡学園」で貼り絵と出会い、顧問医らの指導で才能を開花させた。18歳の時、学園を脱走。放浪生活を繰り返す。戦後、各地で作品展が開かれ「日本のゴッホ」と評された。徳川夢声との対談などでの発言「兵隊の位に直せば…」が流行語となる。

◆超絶技巧も美術の外 甲南大教授・服部正さん

 山下清に対する美術の専門家たちの評価は今も昔も散々です。中身がない、深みがない、踊らされているだけ…。彼を支援するはずの福祉の専門家からも「一人の天才を称賛するのは、障害者の教育・支援の方向として間違い」と批判されます。
 共通しているのは、山下への忌避感。専門家、職業人といわれる人たちが、自分の地位の土台である「芸術は、福祉はこうあるべきだ」という固定観念が揺らぐ危険を感じ、排除しようとしたとさえ感じます。
 特に、美術の専門家たちの反応には、「高尚で洗練された」美術制度とは無縁の山下のほうが大衆的には人気が高かったことへのねたみや怒りが見てとれる。表面上は見えないように繕ってきた偏り、ゆがみ、傲慢(ごうまん)さが見えてしまう。山下はまるで魔鏡のようです。
 それでは山下の作品をどう見るか。正直、今でも正当に評価されているとは言い難い。構図や色の選択はある意味で「凡庸」。絵はがき的と思えるかもしれません。しかし、よく見ると常人には不可能な超絶技巧で作られています。その技術の冴(さ)えだけでも一見の価値はある。
 加えて、その描かれた時空間の独特さ。一瞬を写したような作品なのですが、そこには山下が経験した長い時間が凝縮されて閉じ込められています。
 それは写実のようで写実でない。克明に描かれた風景なのに、その中に入って行ける気がしない。ギリギリのところで拒絶されているような、夢の中にいるような、不思議な非現実感、距離感があります。かと言って生気がないというわけではなく、山下が体感した現地の空気感も生き生きと描かれています。
 山下とは何だったのか。それが分からないから魅力的なのだと思います。美術の世界でも福祉の世界でも外側に置かれてきた。障害がある人たちの独特な美術作品が「アウトサイダーアート」として注目されていますが、少年期に受けた美術教育の痕跡を色濃く残す山下の作品は、そこにも居場所がない。
 言えるのは、超一流の観察者だったということ。ビデオカメラのような目と、超絶的な記憶力で全てを見ていた。山下は激動の昭和時代を生きましたが、市井の人の視点から日本が経験してきたことを絵と文字で克明に記録した巨大なデータベースなのかもしれません。(聞き手・大森雅弥)

<はっとり・ただし> 1967年、兵庫県生まれ。専門は美術史・芸術学。著書に藤原貞朗(さだお)茨城大教授との共著『山下清と昭和の美術』など。アドルフ・ヴェルフリの回顧展を企画・監修。

◆真正直、核心突く言葉 俳優、お笑いタレント・塚地武雅さん

 「裸の大将」の出演依頼をいただいたとき、最初はお断りしようと考えました。芦屋雁之助師匠が主演したシリーズを子どもの頃から見ていて、そのイメージが強かったので「僕じゃ駄目なんじゃないかな」と思ったんです。比べられて「先代の方がよかった」と言われることも分かっていました。
 それでも出演させていただくことにしたのは、雁之助師匠の作品を知らない子どもたちに知らせたいと思ったからです。山下清という天才画家がいて、その人をモデルにした温かいドラマがあった。それを伝えるため、少しでも役に立てるのならと考え直しました。
 出演が決まってからは、いろいろな資料に目を通しました。山下画伯が出演したテレビを見たり、展覧会に行ったり。小林桂樹さんが主演した映画も見ました。小林さんはシリアスに、雁之助師匠はコミカルな部分を併せて演じていました。僕は、山下画伯を障害のある人というよりも、子どもの心を持ったまま大人になった人と受け止め、そのように演じました。
 ドラマですから、物語が面白く展開していくようにコメディーの要素があるし、ほのぼのさせるヒューマンな部分もあります。人物像はデフォルメされています。でも、ご本人の中にもそういう部分があったのではないかと思います。
 山下画伯の言葉は、真正直で純粋です。大好きだった花火について、こんなふうに語ったと言われています。「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」。核心を突いていて、心に刺さりますよね。
 貼り絵などの作品は、丁寧で細かく、小さなものを積み重ねて大きな絵になっているという印象です。無心で一心不乱に長い時間を費やして描いた絵からは熱を感じます。それでいて、うまく描いてやろうとか、人に褒めたたえてもらおうみたいな邪心は感じられません。
 コロナ禍の中で、芸術や文化は軽視されがちです。僕自身、お笑いや芝居をしていて無力感を感じることもあります。でも本当は、美術や音楽、文学、演劇は人を癒やし、頑張って生きていくための支えになるものです。山下画伯が残してくれた絵は、今のような時代にパワーをくれると思います。(聞き手・越智俊至)

<つかじ・むが> 1971年、大阪府生まれ。96年、お笑いコンビ・ドランクドラゴン結成。2006年の映画「間宮兄弟」で新人賞を総ナメに。07〜09年に4本制作されたテレビドラマ「裸の大将」で主演。

◆すごい生活力、行動力 山下清鑑定会代表、おい・山下浩さん

 マスコミの取材がすごかったので有名な画家だとは分かっていましたが、子どもだった私からしたら、一緒にプラモデルを作ったり、将棋を指したりして遊んでくれた普通のおじでした。一人でよくしゃべり、負けず嫌いで、すごく時間に几帳面(きちょうめん)なところはありましたが。
 私の部屋の隣がおじのアトリエ兼寝室で、制作中は没頭していて、勝手に入っても怒られたことはありません。ただ、一日のリズムが決まっていて、正午に昼食と決めたら、制作がヤマ場に入っても正午にはピタリとやめ、再開予定の時間にはすぐに始めていました。急ぎの制作依頼でリズムを乱された時が、一番機嫌が悪かったですね。
 「裸の大将」のイメージとは異なりますが、ドラマはフィクションですから。放浪時も何時に起き、どこまで移動するかをあらかじめ計画し、よく歩いたのでやせていました。画材道具は一切持たず、作品を制作したのは帰ってからのことです。
 注目されるうち、自分が面白おかしく表現されることに葛藤を感じる一方、画家として食べていくために受け入れていたようです。「世の中、半分くらい本当だったらいいんだ」と。プロ意識が強く、絵が評価されるのは喜んで「オレは兵隊の位で言うと、大佐くらいにはなったのか」なんて言っていました。
 私も小学生の頃、おじに習って貼り絵を作りましたが、非常に細かく、難しかったです。「なぜ、そんなに細かくするの」と聞くと、「それが当たり前なんだ」。頭の中に入っている映像を全部表現したかったのだと思います。すごい記憶力でしたが、写実ではなく、美しいイメージとして残ったものを細密に再現する独特の表現でした。
 知的障害だったと言われますが、十五年間も一人で放浪し、お金や食べ物をもらったり、雇ってもらったり。すごい生活力、行動力で、強いて言えば少し空気が読めない、発達障害ではなかったかと思います。
 作品を障害者アートやアウトサイダーアートという枠組みでとらえられることもありますが、違和感を覚えます。健常者アートとは言わないでしょうしアートに内も外もないのではないでしょうか。来年生誕百年の節目を迎えるのに当たり、記念展を計画中です。純粋に山下清の作品そのものを見てほしいですね。(聞き手・清水祐樹)

<やました・ひろし> 1960年、東京都生まれ。清の弟の長男で清が亡くなるまで同居し、貼り絵の指導も受けた。95年、清の作品の管理や鑑定をする「山下清鑑定会」を設立、代表を務める。


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