テレビの現在

2021年8月2日 07時00分
 戦後復興とともに歩み、強い影響力を誇ってきたテレビ放送。小説家の向田邦子ら多くの人材を輩出してきた有力メディアが、インターネットの台頭で曲がり角を迎えている。今、テレビに求められる役割とは。

<テレビ視聴の現状> NHKが5月に発表した「国民生活時間調査」によると、2015年は国民全体の85%だったテレビ視聴者(平日)が20年は79%に減少。16〜19歳の視聴者は47%にとどまった。一方、同世代のインターネットの利用者は80%に達した。昨年のテレビの平均視聴時間は平日1日当たり3時間1分。70歳以上が最も長く5時間12分。20歳代は1時間22分、16〜19歳は53分だった。動画を含むインターネットの利用時間(平日)は20歳代が2時間19分、16〜19歳は2時間9分だった。

◆見直される時が来る 歌手、タレント・研ナオコさん

 昨年三月、動画投稿サイト「ユーチューブ」で「研ナオコ Naoko Ken」というチャンネルを始めました。コロナ禍になりコンサートなどをやれなくなったのもありますが、子どもたちに勧められたのが一番のきっかけです。
 これまでに約五十本の動画を投稿しました。メークの様子を一から公開したり、自宅の屋上でキャンプしたり。疫病退散の御利益があるとされる妖怪アマビエの格好もしましたね。
 反響は予想以上で、若い人にも好評のようです。志村けんさんの「バカ殿」に出ていた研ナオコがすっぴんになったり、マネジャーの失礼な突っ込みに耐えたり(笑い)というのが新鮮なんでしょうか。スマホで簡単に、しかも自分のタイミングで見ることができるユーチューブにはぴったりかもしれません。
 ユーチューブをやることに抵抗はなかったですね。動画の中では基本、すっぴんです。仕事みたいなモードになるのが嫌で遊び感覚。自分自身が楽しんでやっています。
 だから、撮るときも私自身は事前には何も決めず、その場で「こういうのやってみようか」というノリで作っています。家族や事務所のスタッフが撮影し、息子が編集するという家内工業。テレビの番組とは全く違いますが、そういうのが受けるのが今の時代なんですね。
 テレビはそういうわけにいきません。台本があって、ちゃんとメークして、マネジャーの暴言のような問題発言(笑い)は決して許されない。大人が楽しめるものを大人が作ってきたんですね。
 テレビが変わった、つまらなくなったという声があります。でも、私が初めてテレビに出させてもらってから現在に至るまで、テレビは常に変化してきました。今の変化は突然起こったことではないと思います。時代の流れで変わっている途中なんだと思いますよ。
 若い人がテレビよりSNS(会員制交流サイト)が好きという話ですが、昔とは違い、多くのコンテンツから自分が好きなものを選べる時代。いずれテレビは見直されると思いますよ。だって、人は飽きる動物だから。そこは無理して時代の変化に合わせようとしなくてもいい。あせらずやっていればいいよと、テレビで頑張る人たちには言いたいですね。 (聞き手・大森雅弥)

<けん・なおこ> 1953年、静岡県生まれ。71年デビュー。「あばよ」「かもめはかもめ」などヒット曲多数。公式ホームページは「研ナオコ 公式」で検索する。

◆「信頼性」に存在意義 筑波大情報学群教授・辻泰明さん

 テレビはかつて、映像コンテンツを楽しむ手段としては最も便利で内容も豊富でした。しかし、好きなものをいつでも視聴できるインターネット動画の出現で、テレビ離れが進んでいると考えられます。これは伝統的なマスメディアが新たなメディアに取って代わられている現象とも言え、根底には大きな時代の流れがあります。
 大量生産、大量消費で皆が同じような生活をしていた二十世紀、テレビは「茶の間の王様」と言われましたが、今は各自が好きなことを楽しむという多様性と個性を重んじる時代。ネット動画は、そんな人々の気持ちにフィットしたのです。
 テレビの番組そのものは、教養の娯楽化、報道の娯楽化が指摘されるようにジャンルが混交してきました。ハリウッド映画が確実にヒットさせるために一度当たった作品をシリーズ化するように、同じような番組が増えている印象を受けるかもしれません。多様性の時代であるにもかかわらず、画一化という逆行が生じているかのようです。
 放送局で時代の変化の渦中にいた身からすれば、テレビ離れは必然の流れだと受け止めています。ただし、テレビ離れというときのテレビとは、あくまで受像機やテレビ局のことで、テレビ的なもの=映像コンテンツをくつろいで楽しむ、という時間はむしろ増えているでしょう。
 茶の間でしか見られなかったものが、スマートフォンによって時間と空間の両方の自由を手に入れました。送り手と受け手が対等に結ばれた双方向性も実現し、映像コンテンツの制作側の可能性は広がっています。
 テレビが情報を広くあまねく伝える一方、ネットは利用者が能動的に細かい情報を入手するメディア。災害時などはテレビが多くの人に伝えるべき情報を流し、ネットで地域ごとの状況を知るという連携があり得ます。放送と通信の融合を、そうした複合的なサービスの実現としてとらえることが重要で、利用者は、両者の特性をよく理解して活用すべきです。
 また、匿名性が強いネットに対し、テレビなど伝統的なマスメディアは組織として専門のプロがつくっていて責任の所在が明確です。従来のマスメディアは情報の信頼性を保つことを常に意識し、仕事で見せていくことが大事ですし、そこに存在意義もあるのではないでしょうか。 (聞き手・清水祐樹)

<つじ・やすあき> 1957年、東京都生まれ。NHKで番組制作や携帯端末向けコンテンツ開発、インターネットでの番組配信業務などを担当した。2015年から筑波大教授。

◆多様な声 届ける役割 テレビ演出家・今野勉さん

撮影・園了佑

 テレビが急速に普及し始めた頃からすでに「一方通行のコミュニケーションだ」という批判があり、「ビデオコミュニケーション運動」が生まれました。小型のビデオカメラで撮った映像を交換しあい、テレビ局とは異なる情報ネットワークを構築しようという運動です。
 当時は、手間と費用がかかりすぎて大きな広がりはみられませんでしたが、インターネットの登場で、相互交流の思想は急速に広まりました。個人が受け手でも送り手でもある、インターネットは、理想的なツールのはずでしたが、匿名性が災いのもとで「人はこれほど残酷になれるか」と思うほどの誹謗(ひぼう)中傷が発せられ、見逃すことのできない社会問題となっています。
 金沢工業大の長尾隆司名誉教授の研究では、隔離飼育されたコオロギは極度に凶暴になるそうです。彼はこのコオロギを「インターネットコオロギ」と名づけています。SNSで自分が好む情報にしか触れない状態は無情報と同じ。他者への理解ができなくなってしまいます。
 SNSの世界に安住している人が増えることは社会の衰退につながるのではという危機感を抱かざるをえません。「インターネットコオロギ」状態から人々を外へ連れ出す役割をテレビが積極的に担うべきです。テレビに関わる人たちは「テレビを見よう」という呼び掛けを手前みそと思わず、テレビが本来持つ力を大局的に考えてほしいのです。
 テレビの世界には「現場主義」が浸透しています。取材や調査を経た後で「匿名報道にする」という判断は、ネットの匿名性とは全く異なります。正確な情報を提供するのは当然ですが、「パブリック」本来の意味である公共の場としてさまざまな国や民族、国内の種々雑多な声に触れることができるのがまさにテレビなのだと思います。
 一方で、正義や倫理的価値を追いかけるとテレビは途端につまらなくなります。日常とどう向き合うかを考え、変わることで生き延びてきました。バラエティー番組もずいぶん変わりましたね。NHKの「チコちゃんに叱られる!」では、登場するディレクターが使い走りのようです。かつての上から目線が姿を消し、視聴者と作り手が対等な立場になってきています。「チコちゃん」に限らず、その進化と多様性に感心しながら番組を見ています。 (聞き手・中山敬三)

<こんの・つとむ> 1936年、秋田県生まれ。TBSを経て、70年、仲間とテレビマンユニオンを創立。「宮沢賢治 銀河への旅」などを演出。2020年、文化功労者。著書に『テレビの青春』。

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