失冠から1年…大舞台に「中年の星」が帰ってきた 木村一基九段、王座挑戦へ

2021年7月20日 14時00分

佐藤康光九段(左)とのベテラン対決を制し、王座挑戦を決めた木村一基九段=東京都渋谷区の将棋会館で(日本将棋連盟提供)

 7月19日に東京・将棋会館で指された第69期王座戦の挑戦者決定戦に勝ち、前王位の木村一基九段(48)が王座挑戦を決めた。第61期王位戦7番勝負(東京新聞主催)で藤井聡太棋聖(19)に痛恨の4連敗を喫し、「一から出直します」と絞り出した失冠の日から約1年。座右の銘である「百折不撓ひゃくせつふとう(何度失敗してもくじけないこと)」の精神を貫き、大舞台に「受け師」が帰ってきた。 (樋口薫)

◆どんなときも「百折不撓」の心を失わず

 「最後のチャンスでしょう」。挑戦者決定戦進出を決めた7月8日、木村九段は取材にそう答えた。弱気な発言にも聞こえるが、木村九段の「最後」は決して当てにならない。これまで何度も手痛い敗戦をしながら、決してあきらめることのなかった棋士である。
 プロ入りに苦労し、遅咲きの32歳でタイトル初挑戦。しかし大勝負で勝ちきれなかった。2009年の王位戦では、将棋界で2例目となる3連勝の後の4連敗を喫した。40代で再び王位に挑んだ際には「これでタイトル戦は最後」と思い詰めた。その2年後の王位戦でも惜敗し「本当にタイトルは駄目になった」と絶望の淵に沈んだ。

昨年8月の王位戦第4局で、藤井聡太新王位に4連敗で失冠し天を仰ぐ木村一基前王位=福岡市の大濠公園能楽堂で

 さらに3年後の19年、7度目のタイトル挑戦を果たすと、豊島将之竜王(31)との激戦の末、ついに王位を獲得。46歳での初タイトル獲得は史上最年長記録を大きく更新し、「中年の星」として話題を呼んだ。しかし昨年の初防衛戦は藤井棋聖にストレート負け。「1局は勝たなくちゃいけなかった。空回りしてしまう部分が多かった」と大いに悔やんだ。
 タイトル獲得という年来の夢をかなえ、満足してもおかしくない場面で、木村九段は「百折不撓」の心を失わなかった。王位獲得の前から強化していた研究時間を、失冠後はさらに増やしたという。「覚えることが多くて忘れることも多いので、時間をかけるしかない。年々、日々きつくなっている」

王座挑戦を決め、記者会見で笑顔をのぞかせる木村一基九段=東京都渋谷区の将棋会館で

 そう語ったのは、王座挑戦を決めた直後の記者会見。「もうそんなに時間はない。常に最後のチャンスのつもりで臨んでいます」。悲壮な覚悟を見せた後、おどけた調子で付け加えた。「その割にはいい方に結果が向いてますが、うそをついているわけじゃないんです」。いかなる時もユーモアを忘れない。それも木村九段の流儀である。

◆木村九段が「幸運」を引き寄せたカギは…

 挑戦者決定戦の相手は、日本将棋連盟会長を務める佐藤康光九段(51)だった。現役の会長がタイトルに挑戦すれば、故大山康晴15世名人以来、35年ぶりの快挙となる。人気のベテラン棋士同士の大勝負はファンの注目を集めた。
 定跡から外れた力戦型の将棋となり、後手番の木村九段は金銀を押し上げて圧力をかけ、中盤で優勢を築いた。難解な終盤戦で「攻め急いでしまった」という佐藤九段の玉に、難解ながらも即詰みが生じた。しかし、木村九段はそれを逃してしまう。からくも自玉が詰まなかったので勝ちは動かなかったものの、感想戦で佐藤九段に詰みがあったと指摘され、木村九段は驚いた様子で「詰んでたんだ」と繰り返した。
 直後の記者会見で「運が良かった。このひと言に尽きます」と強調したのは、その反省があったためだろう。常にギリギリの勝負が繰り広げられるトップ棋士の対局において、詰みを見逃しては普通なら負けとしたものだ。それでもまだ勝ち筋が残っていたのは、確かに幸運だったかもしれない。さらに言うと、王座戦本戦トーナメントでは藤井王位や豊島将之竜王(31)、渡辺明名人(37)の「四強」が木村九段と当たる前に姿を消していた。
 しかし今年の木村九段の戦いぶりを見れば、それも天の配剤という気がする。順位戦B級1組では、最後までA級への昇級枠を永瀬拓矢王座(28)と争ったが一歩及ばなかった。王位戦リーグでは強豪のひしめく紅組で勝ち越し、挑戦者となった豊島竜王に唯一の黒星を付けたもののリーグ陥落となった。また非公式戦ながら、早指しの団体戦「ABEMAトーナメント」ではリーダーとしてチームを牽引。若手強豪らを相手に大きく勝ち越している。「思わしくない結果が続く中、王座戦に星が偏った」と木村九段は控えめに語ったが、他棋戦での奮闘が今回の挑戦につながったことは間違いない。
 くしくも今回の挑戦決定の直後、木村九段の王位獲得までの軌跡を描いた拙著『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(東京新聞)が「将棋ペンクラブ大賞」の文芸部門大賞に決まったと発表された。その取材の中で、木村九段が19年に王位挑戦を決めた際にも「幸運だった」と繰り返したのを思い出した。その時、筆者が感じた思いをここに引用したい。
 〈将棋界に身を置く者は皆知っている。努力を惜しまず、精進を続けた者だけに、幸運の女神はほほ笑むのだ。〉
     ◇

王座戦5番勝負で木村九段を待ち受ける永瀬拓矢王座=東京都渋谷区の将棋会館で

 永瀬王座に木村九段が挑む5番勝負は9月1日、仙台市で開幕する。「四強」の一角として充実著しい永瀬王座は、将棋へのストイックな姿勢から「軍曹」の異名を持ち、すさまじい努力量で知られる。木村九段も「将棋を指すのに熱心だと感じる人」と評し、「熱意だけでも負けないようにしたい。一番いい状態でないと勝てる相手ではないので、精いっぱい準備して臨みたい」と意気込みを語った。タイプは違えど、ともに「受け」に秀でる棋士同士、粘っこく、濃密な棋譜を堪能させてくれるだろう。熱い秋の陣が待っている。

関連キーワード

PR情報

文化の新着

記事一覧