<東海第二原発 再考再稼働>(31)事故で失われた川や海 福島・双葉の原発標語考案・大沼勇治さん(45)

2021年7月26日 07時45分
 東京電力福島第一原発がある福島県双葉町で育った。JR常磐線の双葉駅から延びる町の大通りには、幅十六メートルの大きな標語の看板があった。「原子力 明るい未来の エネルギー」。私が小学六年の時に考案したものだ。当時の町長から表彰され、誇らしかった。「この町は原発とともに歩むんだ」と、私も思いを強くした。
 とはいえ、原発は怖いものとも感じていた。子どもの頃、ヤマメを釣りに山へ行った。釣具店で「放射能が漏れたら、ヤマメを食うと危ないんだろう」とつぶやくと、店主にたしなめられた。「そんなことは言ったらだめだ」と。触れてはいけないことがあるように感じた。
 こんなこともあった。東電関連の従業員にアパートを貸していた親戚がいたが、一方で「原発反対」を叫んでもいた。他の親戚が「お前はやっていることが矛盾しているじゃないか」と食ってかかった。アパート経営で成功していることをねたむ気持ちがあったのだろう。原発は人の心を線引きしてしまう。
 二〇一一年三月十一日午後は、勤務先の不動産会社の仕事で福島県内の国道を車で走行中だった。大きな揺れで道路脇のブロックが崩れ、電柱が倒れた。一階部分がつぶれた建物も目撃した。自宅は食器の破片が散乱し、車中泊を余儀なくされた。その後、原発が爆発した。安全な避難先を求めて、親戚を頼りながら南相馬市や会津若松市、愛知県安城市と逃げ延びた。
 ちょうど一年後、愛知県豊橋市で開かれた中部電力浜岡原発の反対集会では、福島を知る語り手として参加した。私は、無人となった町の中でダチョウや黒毛牛が闊歩(かっぽ)している写真を示しながら惨状を訴えると同時に、「原子力 破滅の未来 エネルギー」と自作の標語を読み替えた。「原発反対」の姿勢を初めて明確に打ち出した。
 そんな自分にとって、水戸地裁で今年三月にあった日本原子力発電東海第二原発(東海村)の運転差し止め訴訟の判決は、画期的と感じた。行政がつくる避難計画は不十分だとして、運転を認めない判断が示されたからだ。
 確かにそうだ。私が避難した際は、地割れがあり、渋滞が起き、クラクションが鳴り響き、割り込みがあった。もうパニックだ。お年寄りなど弱者は取り残されてしまう。原発の問題はそれだけではない。使用済み核燃料の処理や、施設の老朽化など不安だらけだ。
 双葉町の標語の看板は一六年春までに撤去された。私は残してほしいと訴えたのだが、町はなかったことにしたかったのだろう。どうにか、昨年九月にオープンした東日本大震災・原子力災害伝承館に移設されたが、「大きすぎて展示できない」として建物の外に放り出されている。
 事故で失うのはふるさとだ。川や海が汚染され、釣りをしたり泳いだりができなくなる。あれから十年が過ぎたが、町民はいまだに帰れない。町外の人も双葉町を訪れ、ふるさとを失う痛みを感じてもらえればと願う。(聞き手・出来田敬司)
<おおぬま・ゆうじ> 1976年3月、大阪府生まれ。4歳の時に母の実家のある福島県双葉町へ。いわき市内の短大を経て茨城県内の4年制大学を卒業。2014年5月から古河市在住。太陽光発電事業や不動産賃貸業を営む。

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