女子に勝てなかった一二三、優勝確実と言われた大会で初戦敗退した詩…悔しさ糧に努力を重ねた阿部兄妹<柔道>

2021年7月26日 11時41分

きょうだいで五輪を制し、金メダルを手に笑顔を見せる兄阿部一二三(左)と妹詩=いずれも25日、日本武道館で

 東京五輪の柔道で、25日にきょうだいでそろって金メダルを獲得した男子66キロ級の阿部一二三(パーク24)、女子52キロ級の阿部詩(日体大)の両選手。ともに悔しい経験を糧に稽古に励み、世界の頂へと上り詰めた。(森合正範)

◆「天才じゃない、センスはない」一二三選手…「何事も1歩ずつ」

男子66キロ級決勝でジョージアのマルグベラシビリ(左)を攻める阿部一二三

 一二三選手は幼少期から、鍛錬の積み重ねで壁を乗り越えてきた。「勝つためにはどうしたらいいかと考えたら頑張るしかない。努力を積み上げていくしかないと思った」
 6歳から「兵庫少年こだま会」で柔道を始めた。指導した高田幸博さん(57)は「体が小さく、ごく普通の子。同級生や女子に負けていたし、強くなるとは思わなかった」と、決して目立つ生徒ではなかった。
 道場での稽古の他に、父浩二さん(51)との特訓もあった。週2回、公園で重いボールを投げたり、背負い投げをイメージしたチューブトレーニングに励む。一二三選手は「ああいうのが体幹の強さに生きている」。父との練習が豪快な担ぎ技の礎になった。
 だが、小学校卒業まで、1度も勝てない同級生の女子がいた。後に世界選手権代表となる鍋倉那美選手に何度も投げられ、寝技で負けることもあった。
 鍋倉選手に初めて負けた小学3年の頃から、道場では上級生や強い相手に食らいついていくようになった。高田さんは「女子に負けることがすごく悔しかったんだと思う。闘争心に火がついたのでは」と話す。稽古では打ち込みを「やめ」と言われても、一二三選手だけ「強くなりたいから他人が休んでいる時にやる」とずっとやり続ける。当時80人いた道場生で最も練習し、土台を築き上げた。
 壁にぶつかったら、稽古で乗り越える。その姿勢は、高校や大学時代、現在も変わらない。
 父は「天才なんかじゃない。センスはないけど、努力だけでここまできた。1ミリを積み重ねて10センチ、1メートルとつなげてきた」と振り返る。一二三選手の名前の由来は「何事も1歩ずつ」。その名の通りの歩みだった。

◆「天才」詩選手を「努力する天才」に変えた敗戦

女子52キロ級決勝でフランスのアマンディーヌ・ブシャールを破り、喜ぶ阿部詩

 センスあふれる天才肌。詩選手は順風満帆に見える歩みの中で「あの負けが柔道人生を、自分を変えてくれた」という敗戦がある。
 優勝確実と言われた兵庫・夙川学院高1年の時の全国高校総体。「絶対に優勝できると思っていた」。しかし、初戦で反則負けを喫した。あぜんとして、おえつを漏らした。試合直後、兄の一二三選手から励ましの電話をもらった。「まだチャンスがあるから大丈夫」。だが、その言葉にも前を向けなかった。
 大会後、練習が再開されてもぼうぜんとしたまま。中学、高校と指導した垣田恵佑さんは「あの時が1番落ち込んでいた」と語る。稽古が始まると、震えだし、涙がこぼれ落ちる。恥ずかしい。悔しい。自分が許せなかった。約1週間が過ぎ、ようやく受け入れられるようになった。
 それを期に詩選手は変わった。垣田さんは「あの後、さらに気合を入れて練習するようになって、強くなった。天才が努力するようになった」と変化を評す。「詩は負けて成長する、反省を生かせる選手」と感心した。
 朝練習のダッシュで必ず1番をとるようになった。絶えず課題を持って稽古に取り組み、意識が高い。練習後は研究し、トレーニングもする。
 詩選手は「あの時はどこかで優勝できると思っていて、最後までしっかりとした準備ができていなかった」と振り返る。もう心の隙はつくらない。「勝負の厳しさが分かった。どんな相手がきても対応できるように練習を積んだ」。足りなかったピースが埋まった。
 あれから後年。「天才」から「努力する天才」へ。初戦敗退を糧にして、金メダルを獲得した。「私の努力が報われて良かった。もっと努力して、素晴らしい金メダリストになれるように頑張ります」。晴れやかな笑顔で、胸を張った。

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