居酒屋への圧力要請 「信頼」失い監視を強化 中島岳志

2021年8月1日 07時00分
 四度目の緊急事態宣言が出された。宣言が日常化することで、私たちは「緊急事態」に慣れてしまい、何とかやり過ごす方法を身につけつつある。しかし、これは危ない。
 そもそも緊急事態宣言の基準があいまいで、「いつ出すのか」「いつ解除するのか」という線引きがブレ続けている。結局のところ、何を緊急事態と見なすのかが、為政者の主観にゆだねられているのだ。これは緊急事態宣言の恣意(しい)的な運用を可能にする。ナチスドイツがこの手法を使い、統制を強めていったことを思い出さなければならない。
 国民は、もはや政府を信用していない。ワクチン接種は供給不足によってブレーキがかかり、混乱が続いている。国民生活にはさまざまな規制が加えられるのに、オリンピック関係者には別のルールが適用され、特別扱いされる。政治不信が極度に高まると、政治へのネグレクト(無視・放棄)が起きる。政治への不満が噴出する一方で、投票率は上がらない。七月四日の都議会議員選挙では、投票率が42・39%で過去二番目の低さだった。国民は政治を見放し、政治家の言うことに耳を傾けない。
 そんな中、政府は酒の提供停止に応じない飲食店を従わせようと、取引先の金融機関に圧力をかけようとした。当初は西村康稔・経済再生担当大臣の個人プレーとみられていたが、内閣官房、金融庁、財務省、経済産業省が事前に連携し、方針を決定していたことが分かった。政策は撤回されたものの、このプロセスを通じて、私たちの今立っている場所がいかに危ういところまで来ているかが明らかになった。
 憲法学者の横大道聡(よこだいどうさとし)は、BuzzFeed News(7月11日)に掲載されたインタビュー(「酒販店の取引停止、金融機関への働きかけ 『居酒屋いじめか?』と批判の多い酒提供停止の政策は法的根拠があるのか?」)で、この政策の危うさの本質を明示している。
 金融機関への西村大臣の要請は、そもそもおかしい。「新型インフルエンザ等対策特別措置法」で要請を出す権限が認められているのは、都道府県知事であり、大臣にその権限はない。しかも、内容は特措法の範囲を超えており、法的根拠がない。そのため、これは「事実上の要請」にすぎず、「単なるお願い」である。「それに従う法的義務はないし、無視しても良い」
 しかし、問題はここからである。では、酒の卸売業者は無視すればいいかというと、そう簡単ではない。なぜならば、業者は酒税法に基づいて免許をもらって営業しており、その管轄は国税庁だからである。「要請」に従わない業者は、免許更新の際に不利益を被るかもしれず、また税務関係で面倒なことが起きるかもしれないと恐れる。現に、七月八日には国税庁から酒販の組合に対して卸売りを停止する要請が出ている。
 これは自主規制を促す統治システムにほかならない。許認可権や徴税権を持つ機関を使って要請を通達することで、卸売業者に忖度(そんたく)を促している。金融機関に自粛警察のような作用を担わせ、業者に自発的服従を促している。
 社会学者の山岸俊男は、かつて「安心社会」と「信頼社会」の違いについて、鋭い議論を提起している。山岸によると「信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、…相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えること」であり、「安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じること」である(『安心社会から信頼社会へ』中公新書、1999年)。
 不確実なことが起きるかもしれないけれども、まあ大丈夫だろうと相手に身をゆだねることが「信頼」であるのに対し、不確実なことが起きない状況を統御によって作り上げようとするのが「安心」である。国民と政府の信頼関係が溶解すると、政治が「安心」を求めて、国民へのコントロールを強化する。強権が発動され、監視が強化される。政府は、飲食店の感染対策について、グルメサイトを通じて情報収集をしようとしたが、これは国民を監視権力の一部へと動員する政策にほかならない。
 安倍政権・菅政権が毀損(きそん)した最大のものは「信頼」である。信頼を欠いた社会は、過剰に安心を求め、日常の中に監視装置を呼び込んでいく。そして、最終的に私たち自身が、「見られている」という監視のまなざしを内面化し、忖度や自主規制を加速させていく。
 日本社会が必要としているものは「信頼」の回復である。
 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

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