明治〜大正 稲城に私塾 2人の教育者の功績を紹介 市民グループが本出版

2021年7月28日 07時13分

本を手にする稲田善樹さん(右)と浜住治郎さん=いずれも稲城市で

 明治から大正時代にかけて稲城市で私塾を開いた教育者二人の功績を紹介する本「窪全亮(くぼぜんりょう)と奚疑塾(けいぎじゅく)・小俣勇と和算塾」が出版された。地元の市民グループ「いなぎ草の根文化サロン」が五年間の研究成果をまとめた。代表の稲田善樹さん(81)は「農村だった当時の稲城に優れた教育者が二人もいたのは驚きで、多くの人に知ってもらいたい」と話している。(服部展和)
 漢学者の窪全亮(一八四七〜一九一三年)は同市大丸の商家に生まれ、寛永寺(台東区)などで学んだ。戊辰(ぼしん)戦争の一つの上野戦争や明治維新の時代を経て、二十四歳の時に故郷で教師になった。一八八〇年に同市東長沼の自宅に奚疑塾を開き、生涯を教育にささげた。「稲城」の地名の名付け親ともされる。
 塾では、当時の小学校を卒業した多摩地域や周辺地域の十代男女が学んだ。サロン事務局の浜住治郎さん(75)は「性別を問わず受け入れ、貧しい人の学費を免除するなど先進的な教育方針を貫いた」と説明する。明治末期の塾生は七百三十人余に上った。
 数学者の小俣勇(一八四〇〜一九一四年)は同市矢野口の農家出身。数学者福田理軒に師事し、帰郷して和算塾を開いた。現存する資料が少なく、塾の詳細は判明していないが、明治十年代以降に少なくとも百四十人が学んだ。小俣が大國魂(おおくにたま)神社(府中市)に奉納した和算の絵馬「算額」は窪が記したことから、二人の交流がうかがえるという。二つの塾は、地元や周辺自治体の首長ら政財界で活躍する人材を輩出した。

奚疑塾の跡地に立つ窪全亮の石碑

 奚疑塾の跡地にあった窪の銅像は戦時中に金属類回収令で国に供出されたが、一九八六年に同じ場所に石碑が建立された。サロンは五年前に窪をテーマにした研究や市民講座を開始。その過程で同時期に私塾を開いた小俣の調査にも着手した。稲田さんは「二人は稲城の誇り。今後も研究を続けたい」と語った。
 A4判、百四十四ページで千円。購入、問い合わせは稲田さん=電090(4969)0794=へ。

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