半世紀前の五輪で起きた黒人差別抗議「自分たちが信じるもののために」加わったある白人メダリスト

2021年7月29日 18時32分

※この記事は2017年7月に紙面掲載しました。一部を修正してウェブに再掲載します。内容は原則当時の取材に基づきます。

 1968年のメキシコ五輪。陸上男子200メートルの表彰式で、黒人選手2人がうつむいたまま革手袋の拳を突き上げた。陸上界からの追放と引き換えに、全世界に黒人差別への抗議を表明した「ブラックパワー・サリュート(敬礼)」は有名だ。だが、表彰台に上がったもう1人の白人選手も抗議に加わったことはあまり知られていないだろう。忘れられてきた物語を成城大の山本敦久教授(スポーツ社会学)に語ってもらった。(聞き手・森本智之)

メキシコ五輪で金メダルを獲得し、表彰式で拳を挙げて黒人差別に抗議を示したトミー・スミス氏。インスタグラムより

◆世界記録をマーク、同胞への追悼

 米国のトミー・スミスとジョン・カーロスはそれぞれ当時の世界記録で金メダルと銅メダルを獲得した。2人がシューズを脱いで表彰台に上がったのは南部の子供たちの貧しさを表現するため。ビーズのネックレスは縛り首になった人を、黒いスカーフは奴隷船から投げ出されサメの餌になった人を思った。長い植民地主義の歴史の中で忘却され、誰にも祈りを捧げられない同胞への追悼だった。
 国際オリンピック委員会(IOC)は五輪を政治運動の場にしたとして、2人を追放した。
 冷戦時代の当時、東西両陣営でメダルの獲得競争が熾烈になっていた。黒人選手は競争の道具として使われた。メダルを獲得した時、彼らは米国人になれる。だが、母国に戻れば相変わらずの暮らしを余儀なくされた。モハメド・アリの活躍があり、1960年代は米国の黒人たちが肌の色にプライドを持ち始めた時代でもある。65年にマルコムX、メキシコ五輪の直前にはキング牧師が殺害された。2人には、栄光を賭して抗議する強い覚悟があった。

◆無言の抗議、激しいバッシングの末…

 この時、銀メダルを獲得したのがオーストラリアのピーター・ノーマン。彼は2人から「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」のバッジをもらい左胸に着けて表彰台に立った。2人の気持ちに同調した彼は、拳を突き上げずとも無言の抗議に加わったのだ。
 IOCはこの行為も批判した。帰国後のノーマンは激しいバッシングに遭った。4年後のミュンヘン大会、依然としてトップランナーだったのに代表に選ばれなかった。彼の記録はいまでもオーストラリア記録だ。本来ならナショナル・プライドとなるべき存在。陸上界を去った彼は酒で神経衰弱になり家庭も崩壊したという。
 ノーマンは2006年、64歳で亡くなる。死んだ時もほとんどニュースにならなかった。ひっそりと行われた葬儀で、棺を担ぐ人の中にスミスとカーロスがいた。

◆スポーツを入り口に自分たちの場所を

 3人はずっと連絡を取り合っていたようだ。ノーマンの死の前年の2005年、スミスとカーロスの母校である米カリフォルニア州立大サンノゼ校に表彰台で拳を突き上げる二人の銅像が完成した。だが、銀メダルの場所にノーマンの像はない。これに2人は怒り「建てるな」とまで言った。
 だが、2位の場所を空けることを望んだのはほかならぬノーマンだった。彼はこんな言葉を残した。「誰もがこの場所にのぼって、そこで自分たちが信じるもののために立つことができるんだ」
 現在のカーロスは新自由主義やグローバリゼーションに強く反対している。ウォール街のオキュパイ(占拠)運動に参加し、2024年の五輪招致を目指したロサンゼルスを批判した。彼は1968年の境遇と現代の格差問題を結びつけようといまも闘っている。
 この3人だけではない。たとえば黒人も女性も、ずっと権利を持たなかった人たちがスポーツを入り口にして自分たちの場所を獲得してきたというのはスポーツ史の一側面だ。

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